■相反する感情の間に生まれでる、緊張と湿ったユーモア
ちっぽけな優越感を保つため、軽蔑の対象を求める閉鎖的な村社会で生きる二人は、自分たちがスケープゴートであることを十分に承知している。そして、時にはあざとく、時には鈍感に、それをやりすごす。
「子供だった」と自分のことをあざ笑う男の声を聞きながら、「子供が昆虫をピンセットでいじるみたいな」その男のセックスを思い出している「わたし」。知人の葬式で、妻が違う男と夫婦同然の顔をしているのを目撃したあと、さっさと喪服をぬぎ、「わたし」とデートする九十九さん。
著者は、その打算やふてぶしさを怜悧に見詰めている。その一方で、人生の黄昏を自分なりに小さな愛情の花を咲かせようとする男の純情や、そこに自分の居場所を求めようとする女の切なさも丁寧に掬い上げる。打算と純情。ふてぶてしさと切なさ--相反する感情の間に緊張が生まれ、それが緩和されるときに、湿ったユーモアが生まれ出る。このあたりの味わいが妙に後を引くのだ。
救えないけど、どこか心地よい熱量のある話。
個人的には、レイモンド・カーヴァーの短編作にちょっと似ているかな、と思った。ちなみに、当該書籍には受賞作以外に、中学2年生の不登校の少女と26歳の相撲取りという不思議な組み合わせのカップルを描いた「富士額」、若い女性同士の密着感のある奇妙な主従関係をつづった「タンポポと流星」が所収されているが、。どちらもなかなか渋い味わいがある。エッセイストではなく「小説家」であり、かつ短編集が評価される稀有な書き手なのではないだろうか。
★あえて、アラ、捜します!
いやあ、それにしても、「わたし」、鈍感で残酷。こういう人、あんまり友達になりたくないな~。でも、こう書いている私自身の中にも、「わたし」的なところあるんでしょうね。
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