■「時代」と「個」をみつめる真摯な視線
その答えを性急に求めるのは、けっして上策であるとは思えないが、全体を読み通したとき、まず脳裏に浮かぶキーワードは、「時代」である。大正デモクラシー、軍国主義、戦争、イデオロギーの対立・・・。晴子の書簡の中で、大正から昭和へ、いわば日本の近代という「時代」の記憶が淡々と語られる。著者はあきらかに時代の記憶をこの母子に仮託しようとしているのだ。だが、彼らは、「時代の波に翻弄された」人物として描かれているのでもなければ、「時代と隔絶していた」人物として描かれているのでもない。
このあたりに、著者の独自性があるのではないだろうか。
晴子の書簡で語られることは、徹底して個人史であり、彰之の彷徨は、きわめて内省的なものである。また、本書に織り込まれたいくつかの「謎」(母がなぜ膨大な手紙を息子に送ったのか。一流大学を出ながら猟師という道を選んだ息子のぬぐいがたい陰影の理由は何なのか)も、「社会」「時代」というものには、一見、無縁である(読者の期待を見事に裏切って)。
晴子も彰之も、時代や社会との関わりのなかで相対的に存在しているものとしてではなく、あくまで、主体的な「個」なのだ。
しかし、いや、だからこそ、彼らの生そのものに刻み込まれている時代の記憶は、生々しく、鮮やかなのだ。
「個」と「時代」あるいは「社会」の関係性を、著者は、ひたすらに凝視している。けっして、どちらがどちらかを内包する、あるいは凌駕するといった安易な答えへと逃げない。ただ、ひたすらにひたすらに凝視している。それゆえだろう、本書は、息苦しい作品である。読後感も重い。だが、読むごとに、著者がみつめている「もの」の像が少しずつ少しずつ明確になってくるのではないだろうか。繰り返し読む、その価値のある一冊である。
★あえて、アラ、捜します!
うーん。読み進むスピードがなかなか上がらないッス。特に前半。晴子が北海道の鰊漁場に働きに行くあたりから、やっとゆっくり加速。やはり、著者は、「女の手紙」より「男の職場」を描かせるほうが上手いのでは?少なくとも、今のところ。
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