三遊亭円楽、突然の引退発表

三遊亭円楽の最後の高座ネタとなるであろう「芝浜」。CDで若き円楽の「芝浜」もお聞きください
ご存知の方も多いと思いますが、三遊亭円楽が2007年2月25日の国立名人会で「芝浜」を演じた後の記者会見で現役引退を表明しました。

円楽は半年前から稽古を重ね万全の状態に仕上げ、自身の進退をかけて今回の高座に望んだようです。しかし、思うように呂律が回らず、歯切れよくしゃべれない自分に納得がいかないと同時に「お客さんに申し訳ない」という気持ちから自らの噺家人生に終止符を打ったようです。

この引退ニュースに関しては各マスコミが一斉に報道し、ファンや落語界だけでなく各界から引退を惜しまれる声が多数寄せられました。それでは、こんなにも引退を惜しまれる三遊亭円楽とはどういった噺家なのでしょうか?今回は三遊亭円楽にスポットを当て、彼の波乱万丈の噺家人生を紹介します。

落語界期待の若手噺家

1955年(昭和30年)六代目三遊亭円生に入門。前座名「三遊亭全生」
1958年(昭和33年)に二ツ目昇進
1962年(昭和37年)10月に真打昇進で「五代目三遊亭円楽」を襲名
入門してから7年で真打昇進を果たしているところから、当時より人気・実力を認められた落語界期待の噺家だということが伺えます(現在は入門してから真打になるまで通常15年かかります)。

東京落語四天王時代

クレイジー・ケンバンドの横山剣が大いに影響を受けたと言う伝説の一枚。内容は音楽に乗せて円楽がプレイボーイになるための心構えを語るシュールなもの
空前の演芸ブームである1960年代には5代目春風亭柳朝(柳朝亡き後は月の家円鏡、現・8代目橘家圓蔵)、古今亭志ん朝、立川談志と共に東京落語四天王と呼ばれ、ブームのけん引役として寄席や落語会だけでなくラジオ・テレビでも引っ張りダコのようでした。

四天王の中で円楽は長身で端整な顔立から「星の王子さま」「湯上りの顔」と呼ばれ二枚目キャラを売りにしていました。また、その博識ぶり(政治・経済、スポーツ、文化と多種多彩)も有名で今までの噺家やお笑いタレントの中でも異色の存在でもありました。最近、流行の「雑学王」的なお笑いタレントのパイオニアですね。

1966年5月放送開始の日本テレビ「笑点」に第1回からの出演者であり、師匠の三遊亭円生に「落語に専念するように」と即される1977年3月まで「笑点」にレギュラー出演します。その間にもテレビや映画、CMなど多数のメディアに登場し自身の知名度を全国区とします。

「笑点」降板後はメディアへの登場を控え、噺家として落語に専念するようになり、演芸評論家からも高い評価を得るようになります。しかし、その矢先に円楽のその後の噺家人生を決定付ける大事件が起こります。

次ページでは円楽の噺家人生を決定づけと同時に落語界最大の大事件・落語協会分裂騒動について紹介します。