「勉強せずにテストに臨むような気分だった」
映画では狂気の暴君、実際はとってもいい人なチョン・ジニョン |
「イ・ジュンイク監督とはこれまでも『黄山ヶ原』や『達磨よ、遊ぼう』などで一緒に仕事をし、親しい関係です。ある日『こんな企画がある』と『王の男』の説明を受け、その時から『君は燕山君だ』と言われていました。監督を信頼しながら企画が進むのを待っていました。心配だったのは、燕山は理性で理解できる人物ではなかったためです。彼は自己分裂している。理解できない人を演じるのは不安でした。そのため頭で考えて結論を導かずに、感情で演じることにしました。私はいつも理路整然と役作りをするのですが、その方法はやめました。考えると、ステレオタイプな燕山像になってしまうからです。彼の持つ孤独と悲しみを強調しようとしましたね。演じていると、自分の中でも燕山のように気分が沈んだりすることがあり、つらい気持ちになりました。どんな燕山になるのかわからないまま撮影に臨むのが不安でしたね。まるで、勉強せずにテストに臨むような気分でした(笑)」
―燕山君は、コンギルを愛していたのではなく、執着していたのだと会見で話していましたが、なぜそのように解釈したのですか。
「なぜか、という理由はありません。演じるとき、『なぜ』と問うことはありませんでした。聞くと、答えがひとつになってしまうからです。答えという枠には当てはまらないのが燕山君なのです。彼は複雑な人物です。燕山は愛情を受けたことがありません。母性が欠乏している中で育ち、ずっと愛情の欠乏感にさいなまれていました。そのため人を愛することはなく、コンギルに対する気持ちも執着心だったのだと思います。監督とは既存の作品には描かれていない燕山を演じようと話し合い、歴史資料などは見ずに撮影に臨みました」
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