世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス(4ページ目)

イギリスの国会議事堂にしてロンドンの象徴ビッグベンを擁するウェストミンスター宮殿。歴代の王が戴冠を行った聖地ウェストミンスター寺院。これらに聖マーガレット教会を加えたイギリスの世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会」をご案内!

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

名誉革命と権利の章典

テムズ川から見た景色

テムズ川から見た景色。左からウェストミンスター寺院、タワーブリッジ、そして大観覧車ロンドン・アイ

チャールズ2世はのちにカトリックに改宗し、プロテスタントであるイングランド市民と対立する。ジェームズ2世の時代、不満はついに爆発し、議会はプロテスタントであるオランダのオラニエ公ウィレムと妻メアリーを呼び寄せる。この際、ジェームズ2世は戦いを企てるが、軍は戦争を拒否、結局無血にてジェームズ2世はフランスに亡命してしまう。名誉革命が無血革命といわれるゆえんだ。

1689年、イングランド王に共同で就いたウィリアム3世とメアリー2世は権利の宣言に署名して法の支配を認め、議会優位を記した権利の章典が承認された。

現在イギリスは文書としての憲法を持たないが、以上で登場したマグナ・カルタ、権利の請願、権利の章典が文書として残っており、憲法の基礎をなしている。

もともと議会とは、王と諸侯たちが顔を突き合わせて話し合う場だった。彼らは王の居城であるウェストミンスター宮殿と、聖地であるウェストミンスター寺院に集い、交渉の場を持った。これが近代議会のはじまりなのである。

国会議事堂ウェストミンスター宮殿の誕生

ウェストミンスター宮殿夜景

チャールズ・バリーによって設計されたネオ・ゴシックの刺々しい印象が特異なウェストミンスター宮殿の夜景。右の塔がビッグ・ベン、左の塔がヴィクトリア・タワー ©牧哲雄

1834年、ウェストミンスター宮殿は火事でほとんどが焼けてしまう(1530年に宮殿はホワイトホールに移され、宮殿としての機能はすでになかった)。

それまでは宮殿の名残を残していたために議会らしい部屋がなかったが、1860年前後に完成した新しいウェストミンスター宮殿には貴族院(上院)と庶民院(下院)の議事堂などが設置され、現在も国会議事堂として利用されている。

ちなみに、ウェストミンスター宮殿のウェストミンスター・ホールは11世紀に建てられて残っている数少ない場所だ。数々の王がここで議会と対立し、熱い論争を繰り返してきた。

聖マーガレット教会(セント・マーガレット教会)

聖マーガレット教会とウェストミンスター寺院

左が聖マーガレット教会、右がウェストミンスター寺院。3つの世界遺産はいずれも夜、ライトアップされる

もうひとつの世界遺産である聖マーガレット教会はウェストミンスター寺院に隣接する教会で、11世紀にやはりエドワード王によって建てられたが、16世紀に大幅に改築され、現在に至っている。

有名なのはヘンリー7世の長男であるアーサー王子とカタリナ王女に贈られたフランドルのステンドグラスだ。その他にもミルトンをはじめ、多数の有名人がここに埋葬されている。

また、有名人の結婚式もよくここで行われている。
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