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学生インターン生活のはじまり
インターンながら、いよいよ本格的に仕事開始。でも、これは長い長い道のりのはじまりに過ぎませんでした。 |
入社すぐの頃は、人の働く姿を見ながら、その会社のスタンダードを学んでいくものだと思うのですが、何もわからないうちに小さな部屋に閉じこめられて、しばらくはとまどいの日々が続きました。これが別にアメリカの会社だからそうだ、ということではないんだな、とわかってきたのは、ずいぶん後になってからで、この頃は、状況をただ受け入れる他ありませんでした。
会社の業務は、「地球の歩き方」や「アロハエクスプレス」など、日本のガイドブックのハワイでの広告セールスがメイン。が、オアフやマウイの観光局のために、日本のメディア誘致を行うPR事業を起ち上げて間もない時期で、私はそちらの業務を担当することになりました。それは過去の経験がすべて役に立つ、まさに私のためにあつらえてくれたかのようなポジションでした。
パートタイムではあっても、ニュースリリースを書いたり、日本の媒体向けの企画書を作ったり、ハワイに取材に来たスタッフのコーディネーションを行ったり、ひとりでひとつのプロジェクトを担っていくことも多く、週に20時間までという、学生ビザで決められた就労時間の中ですべてをやり遂げないといけない規制は、かえってタイムマネージメントの訓練になりました。
今はもう思い出すことも難しいくらいですが、1996年当時は、アメリカでようやくメールが一般的に使われ始めた頃で(もちろん電話線)、日本の企業では、個人アドレスどころか、ひとりに一台のパソコンを持たされるなんていうことはほとんどなかった頃でした。なので、日本のマスコミ関係者とのコミュニケーションも、ひたすら「ファックス」です(笑)。10年前なのに、ものすごい昔のようですね。
日本人であることがアドバンテージに
こういう会社ですから、日本語のハワイ関連書物や雑誌、ガイドブックは山のように置いてあり、ハワイに2年もいたのに、あまりハワイの観光名所など知らずにいた僕には、とても嬉しいことでした。出張に行く上司や同僚にも、資料と言いながら、指定してたくさんの雑誌を買ってきてもらうこともできました。とにかく活字メディアに飢えていた私には、それに限って言えば天国のような環境でした。成長の兆しが見え始めたところでしたし、誰もまだ手をつけていない、新しい分野への挑戦でもあったので、やりがいも感じることができました。夜、MBAのクラスに通いながらの仕事生活ではありましたが、小さく若い会社の成長過程を内側から体験することは、学校で教わっている内容の「補強」となり、理論とリアルなビジネスの世界とを照合することで、より深く、ビジネス活動というものがわかってくるような気がしました。
日本人であることがハンディにならないどころか、過去の経験値も含めて、すべてが役に立ち、感謝される……。忙しくて寝る間を削りながらの両立ではあったものの、ようやく自分の居場所が見つかったのかもしれないと、充実した毎日を送っていました。
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