ムハマド・ユヌス氏は、本国では敬意を持ってプロフェッサー・ユヌスと呼ばれる経済学者であり、多くの人の絶大な支持を集める銀行家でもあります。「ムハマド・ユヌス自伝」は日本で唯一読める氏の自伝です。 |
そこで、緊急企画! ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏ってどんな人? マイクロクレジットってなに? グラミン銀行ってどんな銀行なの?等々、知っておきたいユヌス氏の功績や人となりをまとめました。「ムハマド・ユヌス自伝」(早川書房)の翻訳者で、All About「幼稚園・保育園」ガイドの猪熊弘子さんからも熱いメッセージいただきましたので、合わせてご紹介します。
【INDEX】
ムハマド・ユヌス氏ってどんな人?……P1
マイクロクレジットとは?……P2
貧しい女性にお金を融資することの意味……P3
ユヌス氏をもっと知るための2冊……P4
貧困なき世界を目指す銀行家
バングラデシュの首都、ダッカの庶民の台所、ニューマーケット近辺にて。多くの人と派手なリキシャー(人力車)が行き交う光景は目を見張るものがあります。 |
グラミンとはバングラデシュの公用語、ベンガル語で“村落”の意味。世界最貧国の1つに数えられるバングラデシュで、農村の女性や貧困層の自立を目指すことに由来する名前です。どんな人でも融資を受ける権利があり、それは基本的人権の1つだといい、そのための手法として編み出されたのが、グラミン銀行の根幹をなす事業、マイクロクレジットです。マイクロクレジットは、既存の経済学の論理をくつがえす革命的な事業と評され、途上国だけではなく、アメリカ、フランス、北欧など、世界60カ国以上に広がっています。
ユヌス氏が目指すのは貧困の撲滅です。「世界の貧困人口を2015年までに半減させる」ことを掲げ、新しい発想で貧しい人たちに融資をし、一方的な援助ではなく、自立を促す事業を展開していることから「貧困なき世界を目指す銀行家」と呼ばれています。
故国の大飢饉で、人生が一変
ユヌス氏は、1940年にバングラデシュの港町チッタゴンで、宝石店を経営する中産階級の家庭に生まれました。チッタゴン大学を卒業し、母校で4年間、経済学講師を務めた後に、フルブライト奨学金を得て米国に留学。1972年に帰国し、母校の経済学部長となりました。いわば、将来を約束されたエリートだったわけです。そんなエリート経済学者の人生を一変させたのは、1974年にバングラデシュを襲った大飢饉でした。この年の8月、大洪水に見舞われ、食料不足に陥ったバングラデシュは、全土で5万人を超える餓死者を出したのです。
教室を一歩出ると、バタバタと人が死んでいく現実に直面したユヌス氏は、死が近づいているとわかっている人に対して何もできないことに、経済学の無力さを感じたといいます。そして、貧しい人たちは、何が本当に必要なのか、貧困をなくすために何ができるかを知るために、大学の近隣にある農村で聞き取り調査を始めました。
貧困の原因は、わずかなお金を持てないこと
農村の女性たち。識字率はわずか40%、女性は30%程度といわれます。自分の名前すら読めない・書けない女性は珍しくありません。 |
その事実は、ユヌス氏に大きな衝撃を与えました。そして返済の期限を決めずに「少しずつ返してくれればいい」と自分のポケットから、27ドルを貸したのです。担保はありませんでしたが、後に全額が返済されたといいます。その後も、同様の手法で多くの農村でお金を貸しましたが、1度も貸し倒れはありませんでした。
この経験をベースに「弱者のための銀行を作ろう」と教授の職を辞し、1983年、グラミン銀行を発足させたのです。それがすべてのはじまりでした。
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