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「昼ドラの女王」中の女王は?半世紀の歴史を振り返る

半世紀の歴史を持つ昼ドラが『嵐の涙』を最後についに終了。その理由は?そして昼ドラを彩ってきたのは「昼ドラの女王」たち。その中で「女王中の女王」を考えます。

黒田 昭彦

執筆者:黒田 昭彦

ドラマガイド

フジ系月~金13:30放送の東海テレビ昼ドラ。1964年スタートと半世紀以上の歴史を持つ伝統ある枠です、しかしこの3月に遂に終了。
東海テレビ昼ドラは過去には複数あった昼ドラ枠の最後の生き残り。昼ドラが完全消滅するということを意味しています。
そこで昼ドラの歴史を振り返ってみましょう。

 

最初は昼帯ではなかった

昼ドラの元祖といわれるのは1960年フジテレビの『日日の背信』(にちにちのはいしん)。不倫ドラマで、当時は「よろめきドラマ」といわれていました。

『日日の背信』は昼13時スタートですが、毎月曜の週イチ放送。帯ドラマになったのは1961年のTBS13時からの15分ドラマ。
その後、1964年に東海テレビ昼ドラとフジ系13時からの「ライオン奥様劇場」が相次いでスタート。1969年にTBS系13時が「花王愛の劇場」、1971年にTBS系名古屋のCBCが13:45からの15分、1975年に同じくTBS系大阪のMBSが13:30から15分の帯ドラマをはじめ、TBS系とフジ系13時台の一時間が昼ドラで埋まります。


内容の多様化

内容面では初期は『日日の背信』の影響で「よろめき」がメイン。その流れがまず変わったのは1965年のライオン奥様劇場『愛染かつら』、最高視聴率40%弱の大ヒットから。これ以降1970年代にかけて文芸もの、純愛ものが主流になります。

次に内容が変わってきたのが70年代半ば。1976年、東海テレビ枠はそれまでの15分枠から30分枠に拡大します。その第一作が『三日月情話』。ヒロイン(藤田弓子)が初めての妊娠を知った日、夫(中山仁)は「竜宮城にいってくる」と謎の言葉を残し失踪。実は夫は大和朝廷の前から日本にいた出雲族の末裔で……という、近年のドロドロ路線を上回るぶっ飛んだストーリー。

同じく1976年、これも東海テレビ枠に志垣太郎主演の『あかんたれ』が登場。『細うで繁盛記』『どてらい男』でしられる花登筺脚本お得意の大阪商人もの路線。これと花登筺の最後の妻、星由里子主演の『ぬかるみの女』はいまだにローカル局などで再放送され続けている人気作です。

また1977年、ライオン奥様劇場の『私は泣かない』は市毛良枝と初井言榮が演じる嫁姑の対立をコミカルに描き、以後シリーズ化されるヒット作に。


ヒット作をシリーズ化

1981年から愛の劇場枠で『わが子よ』シリーズが6作品登場。ただ『私は泣かない』にしても『わが子よ』にしても主要キャストとテーマ的には共通ながら、ストーリーにつながりはありません。

90年代に入ると大家族ホームドラマシリーズ『天までとどけ』が登場。両親役が岡江久美子・綿引勝彦で8作。宮川大助・松田美由紀の新シリーズで5作、子どもたちの成長を年ごとに描いていきました。
99年からは『大好き!五つ子』が11作、『温泉へ行こう!』が5作と手堅くヒットが見込めるシリーズものが定番となります。

 

13:30からのMBS制作、13:45からのCBC制作の15分枠が1992年に統合され30分枠に。15分時代はあまりパッとしませんでしたが、30分になっての第一作はMBS制作、中村玉緒が看護師長を演じた『いのちの現場から』が全9作のシリーズ化。CBC制作も子役時代の井上真央のタンカで知られる『キッズ・ウォー』が1999年から全5作つくられます。

次は「ドロドロ路線

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