世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

コルドバ歴史地区/スペイン(2ページ目)

中世から伝わるかわいらしい小路やパティオ(中庭)を飾っているのはゼラニウムやカーネーションといった花々で、花の艶やかな色彩が純白の壁によく映えている。そんな美しい町並みの真ん中には、イスラム紋様やアラブ風の円柱に、ゴシックやルネサンス様式のキリスト教礼拝堂を備えた世にも不思議な建物メスキータ。今回は古今東西の文化が融合したスペインの世界遺産「コルドバ歴史地区」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

コルドバの歴史1. イスラム都市コルドバの誕生

グアダルキビール川に架かるローマ橋

グアダルキビール川に架かるローマ橋。川の名はアラビア語で「大いなる川」を示し、ユダヤ商人は川を利用した貿易で町を繁栄させた。右の建物はカラオーラの塔

カサ・アンダルシ

カサ・アンダルシ(スペイン語でアンダルシアの家)の浴室。ここでは12世紀に建てられたイスラム教徒の住宅が見学できる

なぜこのように多彩な文化が融合する美しい都市が誕生したのだろう? その歴史を振り返ってみよう。

7世紀にイスラム教が成立すると、イスラム教を奉じるアラブ人はウマイヤ朝(アラブ帝国)を建て、中央アジア~西アジア~北アフリカに至る大帝国を築く。そして現在のモロッコからスペインへ入って西ゴート王国を滅ぼすと、イベリア半島を占領してイスラム教を広めた。

750年にウマイヤ家はアッバース家に滅ぼされてアッバース朝(イスラム帝国)が興る(「○○朝」は「○○家の王朝」を意味する)。ウマイヤ家の中で唯一生き残ったアブド・アッラフマーン1世は北アフリカを通ってイベリア半島まで逃走し、アッバース朝に対抗して756年に後ウマイヤ朝を建国する。

 

彼が拠点としたのは、紀元前2~前1世紀にローマ帝国が切り拓いた植民都市。ローマ時代から橋や道路・農地が整備されており、これをベースにウマイヤ朝の首都ダマスカスやアッバース朝の首都バグダードに負けない新首都を建設した。これがコルドバで、その中心となったモスクがメスキータだ。

こうしてコルドバは10世紀には世界最大の都市のひとつにまで成長し、町には300のモスク、200のハマム(公衆浴場)、50の図書館、20の学校が整備されたという。

コルドバの歴史2. キリスト教徒による占領

ユダヤ人街のフォトジェニックな街並み

ユダヤ人街のフォトジェニックな街並み。白壁にパステルカラーのラインや植木鉢の花々がよく映える

ビアナ宮殿のバーのパティオ

ビアナ宮殿のバーのパティオ。ビアナ宮殿では12のパティオを見学することができる

キリスト教徒はイスラム教徒に奪われたイベリア半島を回復しようと、北からレコンキスタ(国土回復運動)を開始する。一方、北アフリカに起こったイスラム王朝が南からたびたびイベリア半島に侵入。南北から圧力を受けて後ウマイヤ朝は1031年に滅亡する。

その後もコルドバはイスラム王朝の下で繁栄し、レコンキスタが進むとスペイン北部から逃れてきたイスラム美術の芸術家たちがコルドバやグラナダをはじめとするアンダルシアの町々に集結し、芸術文化はさらに飛躍した。

 

灯火のキリスト広場のイエス像とカンテラ

灯火のキリスト広場のイエス像とカンテラ。カプチーノス教会の脇にある広場で、夕方になると8つのカンテラに火が灯される

1236年、コルドバはカスティリャ王国に占領されてキリスト教徒の支配下に入る。キリスト教徒は他宗教を排斥したため、コルドバにいたユダヤ教徒やイスラム教徒は北アフリカに渡ってフェズなどに逃げ延びた。町並みについては破壊して1から造り直すようなことはせず、それまでの建物をベースに大聖堂や教会が個別に建てられた。

1479年、カスティリャ王国とアラゴン王国が統合してスペイン王国が誕生。スペインはイスラム教最後の王朝であるナスル朝の攻略を開始し、1492年、首都グラナダを落としてレコンキスタが完成した。

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