聖都ペルセポリスを歩こう! 大階段~アパダナ編
牡牛を襲うライオンのレリーフ。レリーフの中にはクセルクセス1世がライオンを仕留める様子を描いたものもある ©牧哲雄
ペルセポリスは約450×300mの長方形の大基壇で持ち上げられたその上に、様々な宮殿が建てられていた。入り口にあるのが大階段で、諸王たちはこの階段から入場した。
階段を昇ると登場するのが万国の門、クセルクセス門だ。この門には、翼を持った牡牛の身体に人間の頭がついた有翼人頭像があり、諸王たちを見下ろしていたが、のちに偶像崇拝を嫌ったイスラム教徒によって頭部が破壊された。
門を右に回るといよいよ謁見の間アパダナだ。アパダナはさらに高い基壇の上に建立された宮殿で、基壇の壁が一面レリーフで覆われている。レリーフには人々と貢ぎ物の隊列が克明に描かれている。
アパダナの柱頭を飾っていた牡牛の像 ©牧哲雄
神々の像で諸王を威圧しているようにも見えるが、実際アケメネス朝は柔軟な外交政策をとっていたようだ。
ユダヤ教徒をバビロン捕囚から解放したように、税さえ払えば各地の宗教と文化を認め、諸民族間の融和を押し進めていた。ペルセポリスには膨大な財宝が収められていたにもかかわらず、強固な城壁も深い堀も広大な軍事施設もない。このアパダナで、諸王たち同士で語らい合い、平和を謳歌していたのかもしれない。
聖都ペルセポリスを歩こう! タチャラ~百柱の間編
ダレイオス1世の宮殿タチャラ。タチャラとは「冬の宮殿」を意味する ©牧哲雄
古代ペルシア語、エラム語、バビロニア語で書かれた楔形文字の対訳碑文
その北にあるのがアパダナと並ぶペルセポリスのハイライト、百柱の間(玉座殿)だ。かつては10×10の100本の柱があり、ペルセポリス最大の宮殿だった。残念ながらいまは柱は立っていないが、数多くの門や壁が残っており、王の玉座のレリーフや、クセルクセス1世がライオンと闘う有名なレリーフを見ることができる。百柱の間は軍隊に謁見する場所だったといわれている。
クーヘ・ラハマト山の山腹には、北の砦やアルタクセルクセス2世の墓、東の砦などがある。アルタクセルクセス2世の墓周辺からペルセポリスとその周囲を一望できるので、ぼけっと眺めてみよう。