アウトサックス奏者ベスト3! ジャズの歴史に残る重要演奏者とは
ジャズの時代を変えたアウトサックス奏者とは
ジャズの歴史において、メロディ楽器としてトランペットと並んで代表格なのがサックスです。使われるサックスは主にソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4種類。
中でも、スウィング時代に入ってからはメインのテーマを奏でることが多いアルトサックスは、花形楽器と言えます。これまで、あまたのスタープレイヤーが登場しましたが、その中で最重要なアルト奏者は誰なのか? さまざまな意見が分かれるところです。
今回ご紹介する三人はそれぞれがジャズの時代を変えたといってよい偉大なプレイヤーです。まずは、スウィング時代の大物アルト奏者のご紹介です。
ジャズ界の名アウトサックス奏者1:ジョニー・ホッジス
Used to Be Duke
脇役だったサックスにライトが当たるようになるのは、スウィング時代に入ってから。大編成のビッグバンドでは、サックスが4管もしくは5管編成で、リードと呼ばれるメロディを吹くのにアルトサックスが用いられるようになりました。
そうなると、俄然スタープレイヤーが現れ始めます。その中でも、最高の存在が「ジョニー・ホッジス」。ジョニー・ホッジスは20年代後半から1970年に亡くなる寸前でデューク・エリントン楽団でプレイしていたアルト奏者です。
ジャズ専門誌の「ダウンビート」において毎年行われる人気投票で、1940年からなんと10年間、一位を独走した第一人者です。その座は、50年にチャーリー・パーカーに譲るまで続きました。人気実力ともにまさにトッププレイヤーだったホッジス。しかしデュークの楽団に入った当初はリードアルトではなく、その実力が徐々に知られるようになるのは30年代に入ってからでした。
その30年代のジャズ・アルトサックス界は、ジミー・ドーシーの時代でした。ジミー・ドーシーは白人で有名なトロンボーン奏者のトミー・ドーシーの兄で、兄弟で人気がありました。
スウィートなダンス音楽で人気を博したジミー・ドーシーでしたが、二歳下のホッジスは実力では、むしろ優っていました。そのホッジスの実力に、人気が追い付いてくるのが40年代に入ってからです。そしてついには、1940年から人気投票で一位に輝き、そのまま10年間も首位を守ったのです。
ホッジスのサックスの特徴は、何と言ってもその官能的な音色にあります。半音近くを、音を伸ばしながら上げていく独特の奏法(ベントというテクニック)は、一聴ホッジスとわかるほど個性的で、魅力にあふれています。
現代ではほとんど使われないこのベントというテクニックですが、このホッジスのメロディの歌い方に敬意を表して、チャーリー・パーカーはホッジスをアダ名で呼びました。
当時アメリカで活躍していたソプラノ歌手の「リリー・ポンス」(Lily Pons)がそれです。チャーリー・パーカーによって、ホッジスは「ジョニー・リリーポンス・ホッジス」と呼ばれました。そのホッジスの代表曲が「ウォーム・ヴァレイ」です。今回ご紹介するのは、1954年のアルバム「ユースト・トゥ・ビー・デューク」からの演奏。
デュークからフィーチャー曲として提供され、何回もメインで演奏し、練りに練られて自分の代名詞のようになったこの曲。ここでもホッジスは期待に応え、決定版ともいえる名演を披露します。
得意のベントを駆使して盛り上げるこの演奏は、スタイル的に古いと言えば古く、好き嫌いの分かれる演奏です。とはいえ、堂々と自信にあふれた吹奏を見せるジョニー・ホッジスは、まぎれもなくジャズ界を代表するアルト奏者だということは間違いがありません。
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ジャズ界の名アウトサックス奏者2:チャーリー・パーカー
ナウズ・ザ・タイム
バードの偉業は、大きく二つ挙げられます。一つには、あくまでもお客本位で踊ってもらうためのダンス音楽だったスウィング・ジャズを、観賞用のミュージシャン主体の音楽へと転換させたことです。
人々は、踊るためではなく、バードを聴くため、観るために集まったのです。バードのもとで、ジャズのスタイル「ビ・バップ」は生まれ、そしてそれが「モダン・ジャズ」と呼ばれるようになりました。
バードがすごいのは、それだけではありません。二つ目に挙げられるのは、バードは、ジャズ約120年の歴史上、最もインプロビゼーション(アドリブ、即興演奏)が上手なプレイヤーだということです。
バードは「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれ、同業者から最も尊敬を集めた絶対的な存在でした。バードには、それ以降ほとんどすべてのジャズミュージシャンが何らかの影響を受けたと言っても過言ではありません。
そのバードが、1952年と53年にまたがって行われた二回の吹き込みを一枚にしたアルバムが「ナウズ・ザ・タイム」です。全曲必聴ですが、特に「コンファメーション」が代表曲として有名です。
実はバードの全盛期と言えば、40年代後半が定説。確かに、若さとひらめきではそう言えるかもしれません。しかし、この晩年にあたる録音では、万人にわかりやすい演奏になっています。
全盛期には、聴衆はもちろん、共演するミュージシャンでさえ、置いてけぼりをくうほど、先に進んでいたバードです。それが、ここではバード自身が成し遂げてきた偉大な道筋をゆっくり振り返っているかのような印象です。
ここに来て、ようやく周りのすべてが追い付いてきて、バードの偉業の片りんを感じることができるようになったということなのかもしれません。
他には、キー・オブFのブルース、表題曲の「ナウズ・ザ・タイム」も好演です。パーカーは、ジャズでのブルース演奏のお手本のようなソロを繰り広げています。
かくいう私も、大学時代はこのソロを何度もコピーしたものです。当時の私はテナーでしたので、さらに指使いがむずかしく、苦労してなんとか覚えました。そしてジャムセッションで披露しようとすると、アルトの先輩が直前にそっくり吹いてしまいました。顔色と出番が同時に無くなったなどということを思い出します。
時代を超え、場所を超え、ジャズの手本とされたのがバードでしたバードの遺産は、現在に至っても世界中で数えきれないほどのフォロアーを生むほどに偉大な軌跡です。
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ジャズ界の名アウトサックス奏者3:オーネット・コールマン
ジャズ来るべきもの
オーネットの登場は、ジャズ界に激震をもたらし、多くのファンや批評家、ミュージシャンをも巻き込んでの大論争を引き起こしました。フリー・ジャズの誕生です。
フリー・ジャズはオーネットにより引き起こされたジャズのムーヴメント。その名の通り、メロディやリズム、コードからの自由(フリー)を求めたジャズです。オーネットの存在は、是か非か、本物か偽物か、はたまた、芸術か騒音かといった議論をあちこちで起こしました。
オーネットの出現によって、それまでのジャズの概念は全く覆されてしまいました。そのため、ジャズが混迷をきたしたというのは事実です。フリーと言う概念が、すぐに何をやっても良いというものに変わりました。そして、その結果、基本的な楽器演奏すら出来ない多くのつたないフォロアーを生みだすという事態を引き起こしました。
それでも、オーネット本人は別格です。あらゆる抵抗に妥協しない強固な信念を持っていました。その演奏は、今日聴いても本物の輝きを放っています。
マイルス・デイヴィスがモード・ジャズの金字塔「カインド・オブ・ブルー」を発表し、ジョン・コルトレーンがビ・バップの究極に発展させた「ジャイアント・ステップス」を録音したこの1959年。
同じ年に、フリー・ジャズの決定盤「ジャズ来るべきもの」が発表されたということは、非常に重要です。ジャズの方法論、理論的に三大概念ともいうべき「ビ・バップ」「モード」「フリー」の決定盤が同じ年に噴き出るように現れたのです。
1959年は、約120年の長いジャズの歴史においてもピークをとらえた年と言えます。特に、他の理論とは全くリンクしない遠く離れた概念のフリー・ジャズ。その決定盤「ジャズ来るべきもの」の存在は極めてセンセーショナルに迎えられたということは、想像できます。
一曲目「ロンリー・ウーマン」を聴いてみましょう。伝統と革新が見事に調和した傑作です。現在の耳で聴いても、聴くほどに新鮮な驚きを得られる演奏と言えます。
この演奏を聴いた当時の聴衆は戸惑い、そしてミュージシャンはもっと混迷しました。最初に理解を示したのは、絵や美術などのアーティスト、建築家や進歩的な文化人たちでした。
彼らにとって、オーネットの音楽は、最先端のヒップなものと写ったのです。オーネットの音楽に触れることこそが、最先端のシーンに触れる方法かのようでした。
現在に至っても、このオーネットの登場のようなあらゆるカルチャーを巻き込んだ、センセーショナルな出来事はジャズ界では起こっていません。そう言った意味でも、オーネットは良くも悪くも、ジャズの歴史を変えた重要なアルトサックス奏者と言えます。
1900年から始まったとされるジャズの歴史は約120年。あまたのアルトサックス奏者が音楽を競いましたが、中でも今回ご紹介した3人の偉人は、まぎれもなくジャズの歴史にその名を刻んだ偉大なイノベーターと言えます。
今回の、最重要アルト奏者ベスト3いかがでしたか?
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