『アナと雪の女王』の魅力をゲイ目線で解説!
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作品の中で(外でも)特に同性愛への言及があるわけではありませんが、『アナと雪の女王』がジェンダー/セクシュアリティにおける多様性の表現というところに踏み出した作品であることは間違いありません。アメリカでは「同性愛プロパガンダだ」などという批判も一部から上がっているそうです(言ってることがロシアの政治家とそっくり同じだって気づいてるんでしょうか。「ほっとけばいいわ(Let it go)」です)
では、『アナと雪の女王』は同性愛映画なのでしょうか? そうではないのでしょうか? ゴトウはこれを同性愛映画とは呼びません(この先、ゲイやレズビアンを主人公とするディズニー映画が登場したときに取っておきます)が、少なくとも「同性愛(セクシュアルマイノリティ)が裏テーマになっている」と言っても過言ではないと思います。
ここからは、どうして「同性愛(セクシュアルマイノリティ)が裏テーマになっている」と言えるのか?について書いていきます。(物語の結末に触れる部分がありますので、万が一まだご覧になっていない方は、ご注意ください)
まず、この物語の主役は、物を凍らせる力を持って生まれ、誰にも心を開かなくなってしまった孤高の姉・エルサと、天真爛漫な妹・アナ。対照的な性格の二人のヒロインです(『ガラスの仮面』ファンの方は即座に「二人の王女」を思い出したことでしょう。エルサがオリゲルドで、アナがアルディスですね)。そして、この二人が最後まで物語の主役であり続ける(男性が主役にならないどころか、王子様が悪者だったりする)ところがポイントです。
いい子でいたいと思い、不思議な力をひた隠しにして、「とまどい、傷つき、誰にも打ち明けずに悩んでた」エルサの姿は、思春期の頃のセクシュアルマイノリティそっくりです。しかし、戴冠式の式典で「普通じゃない」ことが公になってしまい(隠し続けることに失敗し)、人々に「化け物」と罵られ…街から逃げて自分だけの城に閉じこもるのです(そこで歌われるのがあの「Let it go」なのだから、奥が深い)。エルサは男たちに殺されそうになり、アナも命を落としかけますが、「真実の愛」によって救われ、人々もエルサを受け容れ、めでたしめでたし…。
「真実の愛」は、アナとクリストフ(ちなみに彼の声を担当しているのはジョナサン・グロフというゲイの俳優)の関係なのかと思いきや、エルサとアナだった!というのが、この物語の驚きでもあり、新しさでもあり、魅力にもなっています。お姫様と王子様の結婚ではなく、マイノリティに生まれたエルサが、アナとの絆・愛情によって「ありのままの姿」を肯定し、解放されてハッピーエンドを迎えるというのが前代未聞にして画期的なのです。
できるだけ本当の自分を悟られずにやり過ごし(自分だけの城にこもり)、バレたら人々に「化け物」と罵られ、故郷を追われ、命の危険にもさらされている人たちが世界中にたくさんいます。そして、誰か(家族だったりコミュニティの人たちだったり)のあたたかい支援によって自分を受け容れ、幸せになれる人たちも大勢います。そんなセクシュアルマイノリティの人たちは、エルサに自分を重ね合わせ、感動せずにはいられないでしょう。セクシュアルマイノリティだけでなくあらゆる社会的マイノリティの人、女性や子どもたちも、少なからず共感し、拍手を贈ってきたと思います。
このように同性愛者(をはじめとするセクシュアルマイノリティ)の苦悩と解放を想起させるメタファーがありありと見てとれる、それでいて大勢の観客が感動できるのが『アナと雪の女王』の魅力のひとつなのです。
『glee』もそうですが、今、こういう(多様性を賞揚する)エンタメ作品が受ける時代なのではないでしょうか。誰しも、何かしらマイノリティ性(弱さ)を持っているということにみんな気づいているし、「男は男らしく、女は女らしく」の重圧から解き放たれ、自分を「楽」にしてくれるような作品を支持するようになってきているのでは?
ちなみに、特殊能力を持ち、人類に恐れられ、命をねらわれる主人公の苦悩(や解放)を描くという点で、『アナと雪の女王』は『X-MEN』とまんま同じです(『X-MEN』にはエルサと同様、物を凍らせる力を持つアイスマンというミュータントも登場します)。『X-MEN』もずいぶん前から「セクシュアルマイノリティが裏テーマになっている」と言われてきました。ちょうど今、シリーズ第7作も公開されていますので、次の章で『X-MEN』について書いてみたいと思います(というか、今回の記事は『X-MEN』のほうがメインだったりします)