自然と建物が調和した昌徳宮
王が釣りを楽しんだといわれる後苑の芙蓉池。春は新緑、秋は紅葉が美しい。奥の建物が宙合楼で、その手前の門が魚水門
敦化門の屋根飾り。日本の鬼瓦のように、龍や獅子の像を置いて魔除けとしている
たとえば景福宮は平地を城壁で囲い、内部を壁と門で整然と切り分け、主要な門と建物を直線上に配し、左右対称にデザインされている。その外観は紫禁城にそっくりだ。
しかし昌徳宮は違う。正門である敦化門と正殿(中心となる建物)である仁政殿は直線上にないし、向きまで違う。宣政殿や大造殿も同様だ。道も右へ左へ動くので、一直線に奥へと進む景福宮とは雰囲気がずいぶん違う。
進善門。奥に見えるのが粛章門で、その手前左側に仁政門があって仁政殿へと続いている。一直線に奥へと進む景福宮とはまったく異なるレイアウトだ
北京の紫禁城が直線からなり、皇帝の庭園である頤和園(世界遺産)が各地の自然をコピーして造られているのは、自然をも支配する皇帝の力を誇示しているから。それに対して昌徳宮には自然に対する素朴な想いが感じられる。
自然と調和したその姿が王や王妃の心を癒やしたからなのか、文禄の役で景福宮が破壊されたあと、昌徳宮は250年以上にわたって正宮として利用された。王たちにもっとも長く愛された朝鮮王朝のふるさとが、この昌徳宮なのだ。
昌徳宮の建造物と見所1 前苑
昌徳宮の象徴、仁政殿。二層に見えるが内部は吹き抜けになっており、高く広い空間の中に王が坐る玉座が置かれている
こちらは楽善斎(ナクソンジェ)。王の母や妾、女官たちが生活していた空間で、この建物の柱や梁は彩色されていない
■敦化門(トンファムン)
昌徳宮の正門で、1412年に建築されたがのちに焼失。現在の門は1609年に再建されたものだ。王はこの門から出入りしたが、一般には金虎門が使われた。門を入ると道が3つに切り分けられているが(三道)、中央は王専用の道だった。
■錦川橋(クムチョンギョ)
ソウル最古の石橋で1411年に架けられたもの。風水の影響を色濃く残しており、悪い気が入るのを防ぐために伝説の獣ヘテや亀、龍などが彫られている。
■仁政殿(インジョンジョン)
仁政殿の前庭に並んでいる品階石。ここに示された位の順に並んで謁見を賜った
■宣政殿(ソンジョンジョン)
王の執務室であり会議室。ここで王が指示を出したり、臣下を集めて会議を行った。有名なのは屋根。青い瓦は非常に珍しいのだとか。
■熙政堂(ヒジョンダン)
もともとは王の寝殿で、王はここで生活を送っていたが、やがて宣政殿と並んで執務室としても使われるようになった。この建物は景福宮にあった康寧殿を移築したもの。
■大造殿(テジョジョン)
王と王妃の寝殿。1917年に焼失し、現在の建物は1920年に景福宮の交泰殿を移築したもの。立ち並ぶ小さな部屋は女官たちのもので、王や王妃の世話を行っていた。