憲法改正論議と同時に「集団的自衛権」の議論も高まりはじめました。安倍内閣は集団的自衛権についての有識者会合を設置、検討をしています。集団的自衛権についてしっかり知っておきましょう。
1ページ目 【集団的自衛権と普通の自衛権の違いとは?】
2ページ目 【集団的自衛権は作られた権利なのか、国家が当然に持っている権利なのか】
3ページ目 【日米同盟を深めるためには集団的自衛権容認は必要? 不要?】
集団的自衛権とは
自国が攻撃されていなくても、反撃したり、反撃に参加する権利が「集団的自衛権」。 |
それに対し、自国と密接に関係している国家が他の国家に攻撃されたとき、自国が攻撃されていなくても、いっしょに反撃したり、あるいは代わりに反撃したり、あるいは反撃行為に参加することのできる権利を「集団的自衛権」といいます。
つまり「集団的自衛」とはもっぱら「他国のために」行う防衛行動であるわけで、たとえば日本自体が攻撃されていないのに、攻撃されているアメリカなどのために自衛隊を派兵してアメリカなどを防衛するようなことははたしていいのかよくないのか、そのようなことで今、集団的自衛権をめぐる議論が沸騰しているわけです。
集団的自衛権の実際
パターンAは「個別的な集団的自衛」、パターンBは「集団的な集団的自衛」 |
1つは右の図のパターンAで、攻撃に対し反撃に協力しているのは1国のみという場合です。これを彼は「個別的に行われる集団的自衛」といっています。
もう1うがパターンBで、攻撃に対したくさんの国が反撃に協力している場合です。これを彼は「集団的に行われる集団的自衛」といっています。
実際には、パターンAよりもパターンBのほうが起こりやすいといっていいでしょう。たとえばアメリカを中心とする国々が、攻撃国に対し、一致団結して集団的自衛を行う、というものです。
アメリカを中心とした国々がいっしょになってアフガニスタンのタリバンやアル・カーイダを攻撃しているのは、アメリカがこれら武装組織によって「攻撃(「9.11」における「アメリカへのテロ攻撃」)」されたことに対して「集団的に集団的自衛を行っている」ということになるのです。
このことから考えると、集団的自衛権の問題は、単にアメリカ1国といっしょに「戦争」をするか、ということだけでなく、「アメリカを中心とした世界の多くの国々といっしょに戦争をすることを受け入れるか拒絶するか」ということにまで発展していくことになるわけです。
集団的安全保障と集団的自衛権
全ての国が一致し行動するのが集団的安全保障、なかのよい国どうしが一致行動をとるのが集団的自衛。 |
集団的安全保障とは、仲のいい国も悪い国も、たとえば国連の枠組みのなかでとりあえず団結して、攻撃を仕掛けた国に対して一体的に制裁を加えるというものです。1991年の湾岸戦争は集団的安全保障が働いた例で、国連加盟国であるクウェートを侵略したイラクに対し、ほぼ全ての国家が国連を通じて多国籍軍に武力制裁の権限を与え、制裁を実施させたものです。
これに対して、集団的自衛とは、密接な関係にある国どうしだけで、一致団結して反撃をするというもので、ほぼ全ての国が一体となる集団的安全保障とは少し異なるものです。
NATO(北大西洋条約機構)は、このような考えのもと生まれた集団的自衛機構であるといえるでしょう。冷戦が激化するなか、NATOは旧ソ連勢力の攻撃を想定し、集団的自衛がスムーズに行える組織として作られたわけです。
もっとも、旧ソ連側も対抗してワルシャワ条約機構という集団的自衛機構を作りました。結局これは冷戦後解散しましたが、冷戦のさなかには、この2つの集団的自衛機構どうしが全面的に戦うということも想定されていたわけです。
このように集団的自衛は、集団的安全保障に比べ、団結力は強いものの(なかのいい国どうしが集まって行うわけですから)不安定であり、戦争の可能性をより強く持っているものだということは否定できません。
次ページでは、集団的自衛権は国際政治のなかで作られた権利なのか、国家が国家として当然に持つ権利なのか、お話していきます。