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内閣が持つ「行政権」って何?(2ページ目)

大人のための政治の基礎講座、今回から内閣編。内閣は行政権を持っているといいますが、はたしてそもそも「行政」って何を指すのか、説明できますか? まずは意外と難しい「行政」の定義を考えていきます。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【「行政」の概念は時代とともに変わってきた】
2ページ目 【80年代以降「小さな政府」回帰路線が生まれた背景】
3ページ目 【2001年再編された中央省庁、いったい何がどうなった?】

【80年代以降「小さな政府」回帰路線が生まれた背景】

スタグフレーションと「政府の失敗」

対立
経済の混乱が見られた1970年代になると、逆に「政府の失敗」によって生じる不効率さが主張され、「小さな政府」回帰論が生まれていった
1950年代から60年代、政治は冷戦期でしたが経済は安定し、安い原油のもとで日本を含む資本主義国家は着実に成長していきました。

このような「右肩上がり経済」で、「大きな政府」の弊害を指摘する声は大きくありませんでした。

しかし、70年代初めのドル不安、そして1973年のオイルショックは、世界経済を混乱させ、やがて不況と物価上昇の同時進行、すなわちスタグフレーションを生みます。「不況=デフレ」という経済学の常識に反する出来事でした。

これに対して、ケインズ主義経済が有効に働かなかったことから、「大きな政府」が「自由な市場経済を阻害」しているのがよくないのではないか、という疑問の声があがっていきます。

「市場の失敗」に対し、今度は「政府の失敗」というわけです。

新保守主義の台頭

このような現象は、80年代、イギリスとアメリカで「小さな政府への回帰」を目指す政策として現れました。

その先陣を切ったのがイギリスのサッチャー政権でした。サッチャーは、「ゆりかごから墓場まで」といわれたイギリスの社会保障の削減を押し進める一方、政府機能を縮小する「サッチャリズム」を展開します。

そしてアメリカでは、レーガン政権が大幅減税による経済活性化、「レーガノミクス」という政策を実行します。

この波は日本にも及びます。「増税なき財政再建」のスローガンのもと、中曽根政権は3つの政府公社=国鉄(今のJR)・電々公社(今のNTT)・専売公社(今のJT)を一気に民営化し、「小さな政府」を目指します。

これらの政策は必ずしも成功した、とは評価されていませんが(特にレーガノミクスは同時に軍事費増大を行ったため、財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」を生んでしまいます)、いずれにせよこのころから、「肥大化した政府・行政を縮小して財政再建と市場経済活性化をめざそう」という議論が活発化します。

実際、イギリスとアメリカでは、90年代、それまで「大きな政府」路線だった労働党と民主党が、ブレア政権とクリントン政権のもと、「小さな政府回帰」路線を継承していくことになります。

90年代、イギリス・アメリカと日本の違い

90年代、日本でも小さな政府回帰路線の動きはありましたが、うまくいきませんでした。

日本の90年代の政治は55年体制が崩壊するなど激動期にあり、なかなか抜本的な改革ができなかった面もあるでしょう。

しかし最大の要因は90年代が「失われた10年」とよばれる不況期であったところにあるといえます。

イギリス・アメリカの路線が上手くいったのは、混乱の80年代を経て、90年代、両国の景気が回復していき、腰を据えて「第3の道」といわれた「弱者に配慮した小さな政府」路線をとることができたわけです。

しかし、深刻な不況に悩む日本では、「小さな政府よりも財政支出増加による景気刺激策を」という声が増すようになります。

そんななか、橋本政権が行った「小さな政府」路線によった構造改革は景気の悪化により挫折、次の小渕政権では大量の国債発行による財政支出、という形でむしろケインズ主義の方に回帰していきました。

橋本構造改革の落とし子=中央省庁再編

小泉首相
構造改革はひとり小泉首相の功績というのは言い過ぎだろう。「橋本構造改革」がなければ、小泉首相はこれほど「強い首相」でいれただろうか……
さて、このような流れを経て、再び「小さな政府」を掲げる小泉政権が登場、郵政民営化・道路公団民営化などさまざまな「小泉構造改革」を行っていくわけですが……。

橋本政権はその終末期、「中央省庁等改革基本法」を成立させました。小さな政府実現のため、中央省庁の再編と、首相のリーダーシップ強化をうちだしたものです。この成立直後の参院選で橋本政権は倒れますが、この法律に基づいてこの改革は引き継がれ、2001年に実現することになりました。

これにより、それまで1府21省庁だった中央省庁は1府12省庁に大幅再編。閣僚数も原則15名、最大17名に抑制されることになりました。

また、内閣総理大臣直属の省庁として内閣府が置かれ、経済財政諮問会議や金融庁などをこのもとに設置、首相のリーダーシップ強化が図られました。

この一貫として、政務次官制度(政治家が省庁の次官になる)をあらため、副大臣・大臣政務官を国会議員の中から任命することにし、行政に対する立法府のコントロールを強化する制度もできました(もっともこれは、自民党と一時連立していた旧自由党の要求によるものです)。

イギリスのエージェンシー制度にならった独立行政法人制度もできました。それまで政府の業務だったもののうち、「実施部門」を独立させ、効率的な運営を行わせるというものです。

つまり、直接政策立案などに当たらない、たとえば試験研究機関や学術機関、国立病院や造幣局などが対象となります(国立大学は「国立大学法人」)。予算の繰り越しなどを認めて業務の柔軟性を増し(「年度で予算を使い切る」ためのムダな支出がなくなることにもつながります)、第3者委員会による事業評価を受けるようになっています。

さて、次ページでは、こうして再編された日本の中央省庁について、見ていくことにしましょう。
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