卓球/卓球関連情報

第47回世界卓球選手権パリ大会見聞録 パリからの手紙 第6便(4ページ目)

「ベルシーに集結した中国人の目には、まぎれもなく『王楠の日』と映ったはずです」──世界卓球選手権パリ大会を見た「僕」が、手紙スタイルで綴る連載「パリからの手紙」の6回目です。

執筆者:壁谷 卓

張怡寧は王楠に敬意を払いすぎた、というのが僕の感想です。今大会の王楠は、かつての「王楠」ではありませんでした。張怡寧のほうが王楠よりも高い位置にいました。しかし、王楠のいるところまで降りてきて戦ってしまったのです。マラソンにたとえれば、大本命なら大本命らしく、破壊的なペースで突っ走ればよかった。ところが、実績のある伏兵のランナーを警戒し、抑え気味のペースで走り出してしまった。いざギアチェンジを試みたら、思うようにペースが上がらなかった。なかば強引に追い上げたけど、リズムを無視した走りだったので、並んだ時点でスタミナが切れてしまった。そんなふうに見えました。

ベンチに戻った王楠は涙を流しました。僕には、その涙は意外なものでした。なぜ泣くのか、と。彼女の実績を考えたら、張怡寧に勝ったぐらいで、3連覇を成し遂げたぐらいで、泣く必要があるのだろうか、と。そのとき、僕はひどい思い違いをしていたのではないか、ということに気づきました。彼女がこの大会に出てきた「答え」がわかったように思ったのです。いささか乱暴に言い切ってしまえば、こうなるでしょうか。彼女は「ケリ」をつけたかったのだ、と。

記者会見で彼女は「アジア競技大会で負けたあと、引退しようかとも思った」と話しています。しかし、かろうじて選手の側に踏みとどまりました。恐らく、3連覇への未練ではないでしょう。負けたまま引退することを想像したとき、自分はどん底の状態から這い上がろうとする努力を避けたんだ、という「しこり」が残ると感じたのだと思うのです。卓球を離れて新たな人生の一歩を踏み出してしまえば、その「しこり」は一生つきまといます。新たな世界でどれだけがんばろうとも、卓球のしこりは卓球以外では絶対に消せないものだからです。

選手生活にはいずれピリオドを打つ日がやってきます。しかし、大抵の場合、人生はその後のほうが長いものです。どのような人生を歩んでいくにせよ、きっちりと再生するためには、きっちりと「ケリ」をつけることが必要になります。だから、たとえ結果がどうなろうとも、王楠は出ないわけにはいかなかったのです。それゆえ、3連覇も張怡寧に勝つことも、「おまけ」だったのではないかと思えてきます。だって王楠は自分自身と戦うためにパリにやってきたのですから。そして、彼女は勝った。涙は、自分を超えた自分への「ご褒美」だったに違いありません。
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