テクノポップ/YMO関連

YMO周辺~Part 1 スネークマン症候群(2ページ目)

「こなさんみんばんは」「やんこ……(やめときます)」と聞いて反応する貴方、スネークマン症候群です。そんな貴方に『ラジオ・スネークマン・ショー』は、いかがですか?

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

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スネークマン・ショー名義ではYMOとのコラボ『増殖』(写真右)続く『スネークマン・ショー』(1981年)と『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』(1981年)はオリコン・チャートの10位以内に入るヒット作となり、ニューウェイヴ少年少女のマストアイテムでした(何だか恥ずかしい表現ですが……)。『スネークマン・ショー』に収録の『咲坂と桃内のごきげんいかが ワン・ツゥー・スリー』は、細野晴臣による作曲・編曲ですが、日本でのエレクトロ・ラップの元祖とも言えます。

スネークマン・ショー以外にも3人は以下の活動をしてきました。しかし、ギャグの切れと言う意味では3人が揃ったスネークマン・ショーに匹敵するものは無いと断言します。

桑原茂一は、スネークマン・ショー活動停止後もプロデューサーとしてRadio Heaven、ニュー・スネークマン・ショー~ブルー・フィルム(ちょっとエロに走りすぎの感があり)、スネークマンショーの恐るべき子供たち~Snakeman Show Enfants(写真左)、シーマン(写真右:セガサターンのソフトから生まれた企画)として活動。選曲家を認知させた功績は大いに評価されるべきです。日本のクラブ・カルチャーの元祖、ピテカントロプス・エレクトスの仕掛け人であり、現在はClub Kingの代表。

小林克也は「ベストヒットUSA」でお馴染みの英語の達人ですね。でも、こちらのDJ(又はVJ)仕事の時は全然毒がありませんね。ザ・ナンバー・ワン・バンドとしてデビュー・アルバム『もも』(1982年)がそこそこのヒットとなり、その後も活動。

スネークマンとしても『Snakeman Rock Show』(写真左はファースト)のシリーズでリリース。

伊武雅刀は俳優としてテレビでもよく見ますね。ちょっと情けない役が似合う。1983年にシングル『子供達を責めないで』が良識派の大人の賛同を得て小ヒットとなる。同年に『MON-JAH』(写真右)というソロ・アルバムを戸田誠司や白井良明のサポートによりリリースしています。

Shi-Shonenをバックに、戸田誠司プロデュースの『なんかちょうだい』を歌っているビデオ録画を数カ月前に某ERASUREファンの友人に見せてもらって、感動いたしました。

やっぱり、いい物もある、悪い物もあるですね。
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