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大津波復興を妨げる3つの内戦(2ページ目)

インド洋大津波からはや1月半。タイなどは復興に向け着実に歩みだしていますが、一方激しい内戦のためなかなか復興が進まない地域があります。インドネシア・スリランカ・ソマリアです。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【歴史に翻弄され、津波で大被害を受けたアチェの悲劇】
2ページ目 【復興を遅らせるスリランカの深刻な民族対立】
3ページ目 【政府さえないに等しい津波被害国ソマリアの内戦】

【復興を遅らせるスリランカの深刻な民族対立】

スリランカの2大民族~シンハリ人とタミル人

津波の被害は、インドのとなりの島国スリランカでも甚大でした。その被害甚大地域の多くが、反政府組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の支配地域ということで、復興の遅れが懸念されています。

スリランカには、おもに2つの民族が存在します。多数派であるシンハリ人(74%)には、もともとインド北部にいたひとたちが、スリランカに逃げてきて国を作ったという伝説があります。

伝説の真偽はさておき、彼らが北インドに住む人々と同じインド=ヨーロッパ語族であることは間違いありません。大半は仏教徒(上座部仏教)です。

一方、古くから住んでいたとされるのがタミル人(18%)です。彼らはスリランカの目と鼻の先にある南インドに住んでいるドラヴィダ語族と同じ民族です。従って自然に移り住む人たちがいたのでしょう。もっとも、イギリス植民地時代強制的にインドからつれてこられた人たちもいましたが。

というわけで、タミル人の大半は、インド人の多くと同じヒンドゥー教徒です。

強硬なシンハリ政策とLTTEの結成

シンハリ人とタミル人の争いは、スリランカが独立する間では、さほど問題になるほどのことはありませんでした。

しかし独立後、シンハリ民族主義を全面に打ち出す政党「スリランカ自由党(SLFP)」が誕生し、1956年政権を獲得します。さっそく政府はシンハリ語を唯一の公用語とするなど強力なシンハリ政策を打ち出します。

その結果、1958年にははやくもシンハリ・タミルの衝突が開始。しかし、その後のスリランカ経済の悪化に対する不満をそらすため、シンハリ政権はますますシンハリ政策を強めてしまい、タミル人の分離独立運動を招いてしまうことになります。

こうしてできたタミル人組織が「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」です。

なんで虎かっていうと、11世紀スリランカ北部を支配下においた南インドの王朝、チョーラ朝の紋章が虎だということ、それからシンハリ人のシンボルがライオンであり、それへの対抗から、ということだと思われます(スリランカの国旗にもライオンが)。

内戦の激化、インドの介入、和平の難航

1980年代になると、民族対立はさらに激化します。暴動は政府とLTTEの内戦に発展し、多くの難民が生まれます。一方、政府は穏健タミル政党・タミル統一解放戦線を非合法化してしまい、タミル人との対話を断ち切ってしまいます。

さらに難民は海を越えて南インドにやってきます。そこでインドは、難民防止策として平和維持軍を派遣します。この平和維持軍、インドに多いタミル人の仲間をするかと思いきや、スリランカ政府と組んでLTTE掃討にうってでます。

結果、インドのラジブ=ガンディー首相がLTTEによって暗殺されてしまいます。首相に花束を渡す少女が、実は自爆テロ犯なのでした。世界に自爆テロの効果と脅威を、そして自爆テロには女性が向く(警戒されないから)、ということを見せつけたものになりました。

1990年代に入っても、政府とLTTEの内戦は収まりません。内戦以来の死者は6万人以上ともいわれています。

2002年になって、ようやく政府とLTTEの停戦が、ノルウェーの仲介によって実現しました。しかし、和平交渉は難航しています。

今でも政府とLTTEの支配地域は分断されたままです。政府の支配地域には津波の復興のための物資が送り込まれますが、LTTE地域にはなかなか送られてきません。復興に向け、一刻も早い両者の和解が求められます。

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