ユーミン縁の燈籠がある神社
裏門をくぐって、表にでましょう。この数寄屋門も、大正13年に建てられたものが移築されています。門を出ると、左手にすぐ岡本八幡神社。小さな石鳥居の向こうに、ちょっとため息の出るような急な石段が続いています。
この石段の手前にある一対の春日燈籠。実はこれ、松任谷正隆、由実夫妻が奉納したものです。燈籠と一緒にご夫妻の名前も、半永久的に受け継がれていくのでしょう。何百年後にたとえお2人の活躍を知らない人が見ても、仲のよい夫婦の居たことは感じられるはず。時を超えた浪漫がありますねぇ。
さて、話を戻して石段です。この石段、数は多くありませんが、急な上に手すりがないので、思っている以上におっかない。高所恐怖症の人は右手の女坂を登るよう、おススメします。
子どもが、ワタシあっちから行くね!とお父さんに言って走っていきましたが、も
岡本八幡の男坂。見下ろすとこんな感じ。高さが伝わるでしょうか |
川沿いの道・急な坂
このまま神社の裏手から静嘉堂文庫に抜ける道もありますが、今日は、一旦元の道に下り、丸子川沿いの散歩を楽しみます。
川、と名前がついていますが、正確には次太夫(じだゆう)堀という農業用水。16世紀の終わりから17世紀の始めにかけて、代官・小泉次太夫の指揮のもと15年かけて開削されたもので、約23キロメートルにも及びます。大田区エリアでは、正式名の六郷用水としておなじみです。
左手は、鬱蒼とした自然林の残る、静嘉堂(せいかどう)緑地。時折、鳥の声が聞こえ、心がほぐれていくのを感じます。ちょっと前には、ニコタマにいたことがウソのよう。
大蔵通りに出ると、静嘉堂緑地の門の前からぐぅーんと湾曲して昇る急坂があります。
その名も「馬坂」。国分寺崖線(こくぶんじがいせん)沿いに開けたこのあたり、自然に恵まれていると同時に、なにしろ坂が多い。しかも一筋縄ではいかない、急坂が多いときています。
丸子川沿いに遊歩道が続きます |
この馬坂、他にあった坂は、人はなんとか登り降りできても馬ではダメだったので、馬も行き来できるような坂として作られたからだとか。しかし、本当にそうなの? と疑ってしまうほど息がきれます。パートナーに思わず手を引いてもらいたくなります。