浅間山の南東斜面に広がる清涼な高原リゾート
軽井沢のどこからも仰げる浅間山 |
軽井沢の歴史の幕開けから現代まで
この辺りは、江戸時代には五街道のひとつ中山道の宿場町として栄えました。軽井沢(現在の旧軽井沢)、沓掛(現在の中軽井沢)、追分(現在の追分)の三宿は浅間根腰の三宿と呼ばれ、参勤交代の大名行列も通ったそうです。しかし江戸幕府の終焉に伴い、宿場町としての繁栄は徐々に衰退していきました。日本聖公会軽井沢ショーハウス記念礼拝堂 |
外国人の受け入れが必要になったため、旅籠であった亀屋は明治27年(1894)西洋式ホテルに改築され、のちに「万平ホテル」と名前を変えました。時をほぼ同じくして、「三笠ホテル」も誕生。ホテルにとどまらず、外国人の来訪によって、パンやジャムといった西洋の食文化も軽井沢に根づくこととなります。
昭和に入ると堀辰雄、室生犀星などが執筆の場として別荘を建て、徐々に日本人避暑客が増えていきました。第二次世界大戦の敗戦後はホテルが進駐軍に接収されたもののその後営業が再開され、天皇陛下(当時の皇太子殿下)と皇后陛下(旧名正田美智子さん)の軽井沢のテニスコートでの出会いや、ジョン・レノン一家の滞在などにより、避暑地や別荘地として人気が高まりました。
平成に入り軽井沢のイメージを大きく変える契機になったのは、大型ショッピングモール「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」の登場、そして長野新幹線開通でしょう。それまで滞在型観光地のイメージが強かった軽井沢に、日帰り利用という選択肢が増えたのです。加えて電車アクセスが良くなったことから、軽井沢周辺を拠点に首都圏へ通勤する層も増えていきました。