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地震で壊れたのはビルだけではなかった! 関西大震災離婚

関西大震災で命を失った人、家屋を失った人、家財を失った人など不幸な出来事が多くありました。

岡野 あつこ

執筆者:岡野 あつこ

離婚ガイド

忘れもしない1995年1月17日午前5時46分、私は朝ごはんの準備のために起きなければと思いつつ、布団の中でうとうとしていました。そこへ突然、突き上げるような激しい衝撃がきました。マグネチュ-ド7.2と一言でいってしまえば簡単ですが、とてつもないエネルギーにただ身動きもできず、体を揺れに漂わすだけでした。横に寝ていた夫も同じで起きようとするのですが、驚きとひどい揺れにどうしようもないようでした。

私は子供達がとにかく一番心配だったので這いながら、子供部屋に行きました。タンスが重なりあって倒れ掛かっているのを見て、顔面蒼白になったことだけ覚えています。「とにかくなんとかしなければ」その一念で夫を呼んだのですが、彼は腰が抜けて放心状態でまったく体がいうことをきかないようでした。私は無我夢中で子供部屋を見たところ、タンスはうまく部屋のでっぱりに引っかかっていて、子供たちはその間にうまく入り込んでいて無事でした。

一気に気が抜けて、子供たちを抱きしめて外に出ようとしましたが、思うように力が入らず、手間取っていました。何度も夫を呼んだのですが彼は応答なしでした。長男の手を引いて、次男を背中におぶって家の外に出たら近所の人が出てきていて、お互いに大丈夫だったかの確認をしました。その時、3軒隣の山本さんの奥さんが「誰か助けてください。夫がタンスにはさまれて動けないんです」と叫びました。そこで外に出てきた男の方が助けに行き、私も山本さんの子供達を一緒に見ておりました。けがをしている人、挟まれた人、まだどこにいるかわからない人など、みんなで手分けしながら、女性陣は子供達の面倒やけがの手当て、男性陣は各家の状況把握や挟まれている人やけが人のチェック、病院への送迎などを行ないました。みんな自主的にてきぱきと対処していたのを思い出します。

ところがそんな活動をしているにもかかわらず、夫は部屋でまだ動けない状態でした。体はまったく健康そのものでしたが、ショック状態が続いていたようです。そんな夫を見て私は非常に幻滅を致しました。常日頃から男の大事なのはなにかが起きた時にそれに的確に対処できる事だ。自分はそれができると豪語していたからです。

そんな彼を尻目に私はこの日を境にこの地震で困っている人はお互い様なので助け合いをしようということを決めました。この地震まではどちらかというと夫のいうことを真面目に守る貞淑な妻でしたが、この事件をきっかけに自分にもいろいろと人のお役に立てる事ができるんだというボランティア精神に火がつきました。以前、保母をやっていたこともあり、子供達の一時保育や水の確保、近所の老人宅への物資の供給など、喜んでもらえる事をはりきって行ないました。
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