我が子を貧乏にしないための教育とは?
「競争」や「同質化」から我が子を守る
ずばり結論から書くと、筆者は「競争」や「同質化」から我が子を守ることを重視しています。筆者がまず避けるのが「競争」です。
競争している間に培われる「なすべき厳しいトレーニングを遂行できる精神的タフネスや規律」や「試行錯誤して最適解を導き出す思考能力」は、さまざまな分野に応用が利きます。こういう能力を培うために競争を「利用する」ことは、悪くないと筆者は考えています。
とはいえ、競争は「いす取りゲーム」ですから、いすを取れなかったら終わりです。だから、筆者は「我が子を成功させたいなら、競争を避けさせることのほうがむしろ大事」だと思います。
たとえば、あなたの子どもが野球選手を志したとします。我が子が「大谷翔平のようなスターになるのが夢だ!」と言ったとき、あなたは「そんなに甘くないぞ」と思うするハズです。
それもそのはずで、プロの野球選手になるためには厳しい競争に勝たなければならないからです。野球部員のうち、プロ野球選手になれるのは、だいたい1000人に1人だそうです。残りの999人は、野球選手にはなれず、別のキャリアを進むことになります。
競争は子どもを育む「手段」であって、「目的」ではありません。ここを混同すると、教育を間違ってしまうと思うので、筆者は気をつけようと心がけています。
つぎに筆者が避けるのが「同質化」です。
たとえば、教育熱心な親ほど、周りと同じことを我が子に学ばせたがる印象があります。英語教育がブームになったり、プログラミングがブームになったり、といった具合です。
しかし、少なくとも「お金を稼ぐ」ことに関して言うと、周りと同じことをしてお金持ちになる人はいません。
むしろ、多くのお金持ちは周りと「違うこと」をすることでお金持ちになります。それもそのはずで、同質化すると競争が生じて、プロ野球選手のときと同じようにポストを奪い合う必要が出てくるからです。ポストを獲得できなかったり、一度は獲得しても後で奪われたりすると、大変です。
我が子の才能を生かすためには?
だから筆者は、我が子にはできるだけ「異質」でいて欲しいと考えています。ぼくら人類は「分業」とともに栄えてきました。得意なことを自分がやり、苦手なことは他人に任せる。他人がやっていることは他人に任せ、自分は自分の得意を「違う生かし方」で社会に役立てる。これが社会の縮図です。
まとめると、我が子を社会にうまく溶け込ませるためには「自分が得意なことを、周りとは違ったやり方で社会のために役立てられるようになる」のが理想です。
そういう生き方を、我が子が自分で見つけられるようにするのが親の役目ではないでしょうか。