Xで注目を集めている皇室切手。執筆時点でいいねは1万8000を超えている。画像出典:@Erich_von_Bauer
投稿主にお話を聞いたところ「メルカリの購入品が入った封筒に貼ってあった」とのことで、皇太子ご夫妻(当時)の肖像を郵便物に貼ってしまう大胆さもあったが、平成初めの記念切手というのも注目を集めたポイントだろう。すでに還暦を過ぎた今上天皇だが、青年期の写真から制作した切手図案ということもあり、デジタルネイティブ世代にとっては新鮮な驚きだったかもしれない。
肖像入り皇室切手のハードルの高さ
実は皇室切手や皇室関連の切手自体は少なくない。日本最初の記念切手が「明治銀婚記念」(明治27年、1894年)であり、次が有栖川宮熾仁と北白川宮能久(両名とも皇族軍人の物故者)を描いた「日清戦争勝利記念」(明治29年、1896年)だ。3番目も皇太子嘉仁(大正天皇)の「大正婚儀」(明治33年、1900年)であり、日本の記念切手は最初から皇室切手が続いた。しかし皇室の肖像入り切手、しかも存命中の人物のものだと、日本切手では例外的な存在といえる。戦後の皇室切手を例にとると、現在の上皇(明仁)が皇太子となった「明仁立太子礼」(昭和27年、1952年)と英女王エリザベス2世の戴冠式から帰国した際の「皇太子殿下(明仁)御帰朝記念」(昭和28年、1953年)が知られるが、いずれも肖像は入らなかった。
ようやく肖像切手が実現したのは「皇太子殿下(明仁)御成婚記念」(昭和34年、1959年)の10円と30円切手が最初だが、極めて例外的といえる。
“大人の事情”で発行が遅れた悲劇の記念切手
今回SNSで話題となった「皇太子殿下御成婚記念」の肖像切手は、皇太子徳仁(今上天皇)と外務省北米局の外交官だった小和田雅子さん(皇后雅子さま)の婚儀を記念したものだ。国民的な祝福ムードの中、発行前から“34年ぶりの肖像切手”として期待されていたが、「パレードに間に合わず」「まさかのグラビア印刷」と酷評された悲劇の切手でもある。時系列的に見ていきたい。切手収集界の公式の新年行事「新春大名刺交歓会」が行われたのは1993年1月8日だった。前日に「皇太子妃に小和田雅子さんが内定」が大々的に報じられた中、来賓の郵政省幹部が個人的な希望と断りながらも、「おふたりの御肖像図案の切手を格調高い凹版で発行したい」と発言して注目を集めた。
その後、小泉純一郎郵政大臣(当時)が肖像切手を含む「皇太子殿下御成婚記念」の切手発行を記者発表したのは3月26日のこと。紙幣印刷などに用いる凹版で肖像切手を計画する旨は郵政の部内紙にも掲載された。しかし、4月下旬発刊の月刊『郵趣』1993年5月号(日本郵趣協会)では、時間のかかる凹版切手のため、“発行遅延”の可能性も報じていた。
最終的に「皇太子殿下御成婚記念」の肖像切手は先送りされ、それ以外の3種が「結婚の儀」前日の6月8日に発行された。このとき、結婚装束の紋様が商用利用されるのを防ぐため、切手図案は発行3日前の18時30分まで秘匿されるという異例の措置がとられた。しかも62円切手2種(発行数:各2000万枚)は印刷が間に合わず、初日は各1500万枚しか供給されなかったこともあり、初日から完売する局が相次ぐ過熱ぶりだった。
ところが、肖像切手の原画発表が9月7日に行われたときには、凹版からグラビア印刷に変更されており、凹版切手ファンを失望させた。凹版彫刻の印刷見本は「彫刻の細かい線がヒゲやシワに見える」「修正された写真のようで本人のイメージと違う」といった意見が出されたのである。さらに悪いことに凹版からグラビア印刷に変更されたため、切手発行日が「秋口」という修正計画よりも遅延して10月13日となった。
こうして凹版肖像切手としては幻に終わってしまった「皇太子殿下御成婚記念切手」。現在この「皇室切手」のカタログ評価は1枚120円(未使用)。実質的にプレミアはついていない。とはいえ、フリマアプリで購入した商品が皇室切手で郵送されてきたら驚いてしまうのも想像に難くない。
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