鉄道

廃止から20年! 東急東横線の横浜市内廃線区間の「いま」を歩く

かつて東急東横線の横浜側の終点は桜木町駅だった。横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転開始により、横浜駅-桜木町駅間が廃止されたのは、いまから20年前の2004(平成16)年1月31日。同時に東白楽駅-横浜駅間も地下化された。その線路跡は、いまどうなっているのか、歩いてみることにした。

森川 天喜

執筆者:森川 天喜

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「えっ、もうそんなに経つのか!」と思った。横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜駅-元町・中華街駅間)との直通運転開始により、東急東横線の横浜駅-桜木町駅間が廃止になってから、2024年1月末でちょうど20年だという。
 
筆者は東横線沿線の大学に通い、綱島駅の近くにアパートを借りて住んでいた。もうかれこれ30年近く前の話だが、数々の思い出がある。渋谷での飲み会の帰りに車内で眠り込み、気がついたら電車は桜木町駅に。そのまま再び眠り込んでしまい、渋谷に戻ったところで、ようやく酔いが覚めて途方に暮れたこともあった。 
東急東横線の桜木町行きの電車(画像:PIXTA)

東急東横線の桜木町行きの電車(画像:PIXTA)

いまから20年前の2004(平成16)年1月31日、横浜駅-桜木町駅間の廃止と同時に東白楽駅-横浜駅間も地下化され、沿線の風景は一変した。その線路跡は、いまどのようになっているのか、あらためて歩いてみることにした(現地の写真は、2023年に撮影)。
高架上の桜木町駅に停車する東急東横線と駅前を走る横浜市電(横浜市史資料室所蔵)

高架上の桜木町駅に停車する東急東横線と駅前を走る横浜市電(横浜市史資料室所蔵)

東横線の地下への入口

最初に向かったのは東白楽駅。東横線の地上区間の最南端に位置する駅である。駅名になっている「白楽」という一風変わった地名は、この辺りに神奈川宿(東海道の宿場)の伯楽が多く住んでいたことに由来するという。伯楽というのは馬喰(ばくろう。馬の治療や売買・仲買をする者)のこと。学生時代は気にも留めなかったが、地名というのは調べてみるとなかなか面白い。
 
東白楽の駅前を横切る県道12号線(横浜上麻生道路)上を、かつて横浜市電の六角橋線が走っていた。市電六角橋線が廃止になったのは1968(昭和43)年。もはや大昔だ。この県道を渡った先に、東横線の地上線跡を活用して整備された「東横フラワー緑道」の入口がある。
「東横フラワー緑道」入口

「東横フラワー緑道」入口

緑道に足を踏み入れると、ちょっとしたせせらぎもあって、都会のオアシスといった感じだ。先へ進むと、間もなく前方に東横線が地下へと潜り込む開口部が見えてくる。黒くポッカリと開いた口へ何本もの電車が吸い込まれ、また吐き出されてくる。なんだか異世界への入口のようだ。 
東横線の地下区間への入口

東横線の地下区間への入口

開口部に設けられた跨線橋(こせんきょう。線路をまたぐ橋)から先は、横浜方面へ向かって地下を走る東横線の真上に緑道が延々と続いている。緑道を歩いていると、時折、通気口を通じて地下を通過する電車の轟音が聞こえてくる。
 
緑道を200メートルほど進むと、やや広めの道路と交差する。うっかりすると気づかずに通り過ぎてしまうが、交差点の角のマンションの植栽に、駅の乗り場案内のプレートを模した「新太田町駅跡」と書かれた小さな案内板が設置されている。
「新太田町駅跡」を示す案内板。博覧会開催中のわずかな期間のみ復活したので「幻の駅」とも言われる

「新太田町駅跡」を示す案内板。博覧会開催中のわずかな期間のみ復活したので「幻の駅」ともいわれる

わずかな期間のみ復活した「幻の駅」

「新太田町」というのはかつて存在した東横線の駅名だ。案内板は表面が劣化しており、文字が読み取りづらくなっているが、新太田町駅について次のように記されている。
 
「東京急行電鉄東横線新太田町駅は、1926年(大正15年)2月14日に開設され、1945年(昭和20年)5月29日の空襲で被災したため6月1日より営業を休止し、翌年1946年5月31日廃止となりました。その後、新太田町駅跡は、1949年(昭和24年)日本貿易博覧会が反町付近で開催されたときには、会期中(昭和24年3月15日~6月15日)に『博覧会場前』駅として旧駅を利用して臨時駅が開設されたこともありました。」
 
廃止された後、わずかな期間のみ復活したことから、「幻の駅」ともいわれているようだ。 
ボードウォークにレールがはめ込まれている区間も

ボードウォークにレールがはめ込まれている区間も

散歩を続けよう。この辺りは部分的にではあるがボードウォークにレールがはめ込まれている区間もあり、廃線旅の気分が味わえて楽しい。

新太田町駅跡から300メートルほど歩を進めると、反町駅の手前に、国道1号線(横浜新道)を跨ぐ橋がある。この橋(東横フラワー緑道反町橋)は、かつての東横線の鉄道橋を活用している。
 
反町駅を過ぎると、やがて前方に「高島山トンネル」が見えてくる。このトンネルも、かつての東横線の遺構である。『東京急行電鉄50年史』には、高島山トンネル開削時の難工事の様子が、次のように記録されている。
 
「高島山隧道は、当時、関東私鉄では例のない延長173.72メートルの複線隧道であった。当初は、大正15年1月に竣工の予定であったが、竣工まぎわになって隧道頂部に亀裂がはいったため遅れ、ようやく2月14日の開業日に間に合わせた」 
高島山トンネル

高島山トンネル

このトンネルのある高島山(神奈川区高島台)は、横浜の実業家で易学者(「高島易断」の祖)でもある高島嘉右衛門(1832~1914年)ゆかりの地だ。嘉右衛門は洋学校「高島学校」の開設や、ガス事業をはじめ、都市としての横浜の形成期に大きな功績を残した、「横浜の恩人」の1人ともいわれる人物である。
 
嘉右衛門は鉄道との関係も深く、新橋駅-横浜駅(現・桜木町駅)間に敷設された日本初の鉄道建設工事に際し、力を尽くしている。袖ヶ浦とよばれる深い入江で工事の難所とされた、現在の神奈川区青木町付近から桜木町駅(初代横浜駅)手前までの海面埋め立て(築堤)を請け負い、その工事を高島山(当時は大綱山と呼ばれた)から指揮監督した。

嘉右衛門によって造成された埋立地は「高島町」と命名され、いまもその名を残している(横浜市西区高島など)。
高島山の頂上部にある「高島山公園」に立つ嘉右衛門を顕彰する「望欣台(ぼうきんだい)の碑」。実業界から引退した嘉右衛門が、かつて埋め立て工事を指揮したこの高台に大規模な山荘を築き、横浜の繁栄する様子を望みながら「ひとり欣然として心を癒やした」ことに由来するという

高島山の頂上部にある「高島山公園」に立つ嘉右衛門を顕彰する「望欣台(ぼうきんだい)の碑」。実業界から引退した嘉右衛門が、かつて埋め立て工事を指揮したこの高台に大規模な山荘を築き、横浜の繁栄する様子を望みながら「ひとり欣然として心を癒やした」ことに由来するという

3つも存在した神奈川駅

高島山トンネルを通り抜けた先には、かつて東横線の神奈川駅が存在した。1926(大正15)年2月に東横線(当時は東京横浜電鉄)が、丸子多摩川駅(現・多摩川駅)-神奈川駅間で開業したときの終点駅であり、鉄道省線(現・JR東海道線)の神奈川駅との接続を図った。

この東横線の神奈川駅も、省線の神奈川駅も後に廃止され、現存しない。どんな駅だったのだろうか。

まず、省線の神奈川駅は、1872(明治5)年の新橋駅-横浜駅(現・桜木町駅)間の鉄道開業時に、途中駅として設置された駅である。場所は青木橋と現在の横浜駅の中間付近だった。

しかし、その後、横浜駅が1915(大正4)年に高島町へ移転(二代目横浜駅)し、さらに1923(大正12)年9月の関東大震災で二代目横浜駅が焼失した後、1928(昭和3)年10月に三代目となる駅が現在の横浜駅の場所に開業。この三代目横浜駅との距離が近すぎたため、神奈川駅は廃止された。 
1927(昭和2)年時点の東白楽(中央上)から神奈川(中央下)の地形図。省線神奈川駅西側に東京横浜電鉄神奈川駅、東側に京浜電鉄神奈川駅および市電の停留所が見られる(出典:国土地理院地形図)

1927(昭和2)年時点の東白楽(中央上)から神奈川(中央下)の地形図。省線神奈川駅西側に東京横浜電鉄神奈川駅、東側に京浜電鉄神奈川駅および市電の停留所が見られる(出典:国土地理院地形図「神奈川」「横浜」を合成)

東横線の神奈川駅は、1927(昭和2)年の地形図を見ると、当初は省線・神奈川駅のすぐ西側に設置されていたことが分かる。だが、開業から2年半後の1928(昭和3)年10月に省線の神奈川駅が廃止されると、高島山トンネル出口付近に場所を移された。その後、新太田町駅と同様、戦時中に空襲で被災して営業休止後、1950(昭和25)年に廃止されている。 

なお、京浜急行電鉄には、いまも神奈川駅が存在する。京急電鉄の神奈川駅は、1905(明治38)年に京浜電鉄(現・京急電鉄)が神奈川まで延伸された際に設置された神奈川停車場前駅が、その起源である(後に神奈川駅に改称)。この当初の神奈川駅は後に廃止され、代わりに青木橋駅が京浜神奈川駅、さらに神奈川駅へと改称され、現在まで存続している。
横浜駅側の緑道入口は、場所がやや分かりづらい

横浜駅側の緑道入口は、場所がやや分かりづらい

さて、高島山トンネル出口から200メートルほど先で、「東横フラワー緑道」は終点になっている。東白楽駅からここまで、ゆっくり歩いても1時間もかからない。しかし、かつてはこの短い区間に、東白楽駅-新太田町駅(廃駅)-反町駅-神奈川駅(廃駅)-横浜駅とたくさんの駅が存在したのだ。

桜木町駅周辺に残る、さまざまな鉄道遺構

続いて、横浜駅-高島町駅-桜木町駅間の廃線跡を見にいこう。同区間は、ほぼ廃止時のまま高架橋が残されており、高架橋を活用した遊歩道として整備する計画が立てられている。だが、これまでに市の財政状況の悪化などを理由に何度か工事が延期されてきた経緯があり、廃止から20年が経過した現在に至っても、桜木町駅前から紅葉坂交差点付近までのわずかな距離(約140メートル)が公開されるにとどまっている。 
旧・東横線高架橋。紅葉坂から横浜駅方はフェンスが閉められ非公開の状態だ

旧・東横線高架橋。紅葉坂から横浜駅方面はフェンスが閉められ非公開の状態だ

残りの紅葉坂から横浜駅まで約2キロの整備・公開予定はどうなっているのだろうか。整備を担当する横浜市都市整備局都市交通課に問い合わせたところ、「高架構造物の耐震性を点検したところ、コンクリートの剥落(はくらく)等が見られたため、補修や一部構造物の取り壊しが必要となった。とくに旧・高島町駅付近では構造物に大きな傷みが見られたため活用を断念し、現在取り壊しを進めている箇所がある。こうした状況から、これまでの計画は一度リセットし、令和4~6年にかけて基本計画を練り直している。その後に整備を進めるため、公開時期は今のところ未定」との回答だった。
 
当面の間、遊歩道が公開されることはなさそうだが、この区間の沿道には鉄道関係のさまざまな遺構がある。
 
まず、高島町交差点の角に建つマンションの敷地内に、二代目横浜駅舎の基礎部分のレンガ遺構が公開されている。マンションの敷地と聞けば、立ち入って大丈夫なのかと思うかもしれないが、心配ない。横浜市の市街地環境設計制度により、「公開空地」とされているので自由に見学できる。 
関東大震災で焼失した二代目横浜駅跡

関東大震災で焼失した二代目横浜駅跡

二代目横浜駅の駅舎は、鉄骨2階建てレンガ造り、前年の1914(大正3)年に開業した東京駅丸の内駅舎とよく似た瀟洒(しょうしゃ)なデザインだった。だが、完成からわずか8年後の1923(大正12)年9月の関東大震災で焼失してしまう。この駅もまた、「幻の駅」である。
 
次に高島町と桜木町のちょうど中間地点、桜木町六丁目交差点付近に、ちょっと面白いスポットがあるので立ち寄ってみよう。旧・東横線、JR根岸線、首都高の高架の影に隠れるようにして、小さな踏切が設置されているのだ。
 
この踏切は、貨物専用のJR高島線(鶴見駅-東高島駅-桜木町駅)の踏切で、「三菱ドック踏切」と名付けられている。かつてこの付近に「ハマのドック」の名で親しまれた、三菱重工横浜造船所の正門があったのが名前の由来である。そして、この造船所跡地を中心に開発されたのが、「みなとみらい」なのである。 
「三菱ドック踏切」は、今も人々の往来が盛んだ

「三菱ドック踏切」は、今も人々の往来が盛んだ

横浜のビル街の一角の小さな踏切を、時折、貨物列車がガーガーゴトゴトと音を立てながら走り去っていく。ちょっと驚きの光景だが、埠頭や工場を結ぶ貨物線が発達した港町横浜ならではの風景ともいえるかもしれない。
 
さらに桜木町駅まで歩を進めてみよう。桜木町駅の東口(海側)駅前広場一帯が、かつて東横浜駅(1915年開業、1979年廃止)という大きな貨物駅だったといえば驚くだろうか。現在、広場の片隅に東横浜駅の記念碑が立てられている。 
中央上の川向こうに桜木町駅舎、右手奥に東横浜貨物駅が見える(1959年8月19日=横浜市史資料室所蔵)

中央上の川向こうに桜木町駅舎、右手奥に東横浜貨物駅が見える(1959年8月19日=横浜市史資料室所蔵)

ほかにも、桜木町駅周辺には、駅ビル「CIAL桜木町ANNEX」1階に展示されている鉄道開業時に使用された英国製の「110形蒸気機関車(110号)」や、新南口(市役所口)の改札外に立てられている「鉄道創業の地」の碑、さらに横浜赤レンガ倉庫などのある新港(しんこう)埠頭を経由し、横浜税関構内へと続いていた貨物線(通称:税関線)跡を活用した遊歩道「汽車道」など、鉄道の盛時をしのぶ遺構が数多く残る。
 
桜木町駅周辺を歩いていると、人々の喧噪の中に、ふと、陸(おか)蒸気の汽笛の音が、いまも聞こえてくるような気がする。
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