地下鉄内のアナウンスが感動的!?
地下鉄では駅ごとにお決まりのアナウンスが流れ、それが終電の時間まで繰り返される。だから降りる駅さえ確認できれば、アナウンスなんてほとんど聞いていない、という人は多いだろう。でも、韓国、特にソウルで地下鉄に乗ったなら、(もちろん韓国語だが)時々耳を傾けてよく聞いてみるのも悪くない。定番のアナウンス以外に、思わず感動してしまう「素晴らしいメッセージ」が運転士から発信されることがあるからだ。もちろんそれは、どの駅でも聞けるものではないし、しょちゅう聞けるわけでもない。不定期で、場所も決まっていない。ごく一部の運転士たちによるサプライズのようなもの。だから偶然にもそれが聞けたなら、その日はラッキーだ。
疲れた体も心も癒される
乗客をいたわる運転士オリジナルの車内アナウンスの一例を紹介しよう。例えば出勤時間帯には、
「皆さん朝早く出勤するために朝食を食べていない方もいらっしゃると思います。食事だけはきちんと摂って、今日一日を健康でお過ごしください」
退勤の時間帯や終着駅付近では、
「心配なこと、不安なことは列車に置いてお降りください。私が車庫で処分しておきます」
「家路につくときは達成感よりも、後悔や物寂しさを感じるものだと言われています。うまくいかなかったことの方が、頭にこびりつきなかなか離れていかないからのようです。でも一度考えてみてください。無事に一日を終えられたこと、それ自体がありがたく、また立派なことではないでしょうか。皆さま、お疲れさまでした」
こういった文句は、マニュアルに書いてあるのではない。 いや、そもそもこのアナウンスに関するマニュアルなどない。すべて運転士たちが自ら考え準備をしているというのだから心打たれる。筆者が実際に聞いたことのあるアナウンスの中では、年末のものを特に記憶している。
「思い返してみればいろいろなことがあったと思います。今年もご苦労様でした。来年はより素晴らしい年になるよう祈っています」
というごく短いものだが、そのとき車窓から見た夕暮れとその言葉が素晴らしくマッチし、ぼーっと座っていた筆者はハっとした。さりげない一言は確かに心に響いた。
最優秀アナウンス王選抜大会!?
こうしたステキなアナウンスが流れることのある地下鉄だが、それゆえに面白い大会も開催されている。ソウル交通公社が毎年行っている「最優秀アナウンス王選抜大会」だ。筆者、初めてこの大会の存在を知ったときは、 交通機関が「アナウンス王」選抜!? と、くすっと笑ってしまったが、その後調べてみると、1998年から続くそれなりに歴史ある大会だった。ソウルの地下鉄1~8号線、計15事業所から選り抜き1名ずつ挑戦者が集い、理論、実技、顧客からの評価などを総合して最優秀者を選ぶのだが、面白いのが「実技試験」だ。突発事故や乗客をいたわる文章を作成後、実際にアナウンスをして披露するのだ。
2022年、ソウル交通公社に乗客から寄せられた称賛の声の72%は、感動的な車内アナウンスに感謝するものだったという。緊急時にいかに迅速かつ正確なアナウンスが行えるかという能力は言うまでもなく大切なものだが、乗客をいたわったり、励ましたりする車内アナウンスも、韓国の地下鉄界では、もはや大切な顧客サービスとして認識されているというわけだ。
この大会とは別に、乗客から100件以上の高評価を得たことのある運転士や関連職員だけが加入できる「センチュリークラブ」なるものもある。メンバーの中には過去約10年の間に2000件近い称賛の声が寄せられた運転士もいるというから驚きだ。
カリスマ運転士の誕生
このように、車内アナウンスで話題になった運転士たちは、しばしばメディアで取り上げられる。中には全国的に有名になる人も。「最優秀アナウンス王選抜大会」で最優秀賞を受賞したことがある地下鉄5号線運転士のヤン・ウォンソクさんもそのうちの1人。テレビに出演するだけでなく、これまでに行ってきたアナウンスの数々を収録したエッセイ本も出版している。
彼を一躍有名にしたアナウンスは、大学修学能力試験(日本の大学入学共通テストにあたる)の当日、多くの受験生に向けて発信した次のような激励の言葉だった。
「受験生の皆さん、今日は皆さんが社会に出るための最初の関門となる日です。これまでの努力を出し切り、最善を尽くせるよう願っています。乗客の皆さんも、制服を着ていたり、分厚いカバンを持っていたりする学生を見かけたら、励ましの言葉をかけてあげてはいかがでしょうか」(一部省略)
ちなみに、 ヤンさんも「センチュリークラブ」のメンバーとのことだ。
何かとストレスを感じやすい公共交通機関だからこそ、温かな想いあふれるアナウンスはありがたい。本稿を書きながら筆者、また感動のアナウンスを聞いてみたくなった。明日地下鉄に乗るときはイヤホンは外しておこう、そう心に決めた。