心身ともにバランスが乱れて
「私は産後、体調も精神面もなかなか回復しなくて苦労しました」アイコさん(37歳)はそう言う。結婚8年、7歳の長男と4歳の長女がいる。夫とは「大恋愛の末に」結婚したと思っていた。しかし子どもが生まれてからは、表面的にはうまくやっているものの、内心は「我慢の連続」だという。
「子どもの夜泣きがひどかったとき、『ちゃんと寝かせろよ。明日は大事な会議があるんだから』と言われたんです。こっちだって寝かせようと思ってがんばっているのに。あげく、『子ども用の睡眠薬ってないのかな』とまで言った。そんなことを考えているのかと思うと怖くなりましたね。『子どもに飲ませないで自分が飲めば?』と思わず言いました」
母親が不安定だと子どもが夜泣きするだの、心からリラックスできないから泣くだのと、どこから仕入れてきたのかわからない情報も口にする夫に、彼女は信頼感をなくしていった。
「初めての子どもだし、壊しそうで怖いし、ホルモンバランスが崩れているから精神的にも不安定。命を預かる怖さを夫はわかってくれなかった。長男が生後半年くらいのとき、もう無理だと思って、子連れで夫の実家に行ったこともあります。私の実家より、夫の実家のほうが近かったので。さすがに夫が迎えに来ました。義父母の前で、睡眠薬の話をしたら、義母がものすごく怒って、私に謝ってくれたんです。それでなんとか気持ちをおさめました」
長女が生まれたときは、義母がときどき手伝いに来てくれた。2人目となると、夫もいくらか学習したのだろう。自分から子どものめんどうも見るようになった。友人たちにも子どもが生まれ、影響されたのかもしれないとアイコさんは言う。
「今は子どもたちにとって、いいパパになっていますが、私はあの時期の恨みを忘れていません。忘れたくても忘れられないんです。夫がいいパパぶりを見せれば見せるほど、私のテンションは下がっていく感じ。信頼感を取り戻す日が来るとは思えない」
子どもたちが巣立って夫婦ふたりきりになる日が来たとき、自分が夫に冷たくしそうで怖いと彼女は言う。
どうしても我慢できなかった
半年前に夫に離婚届をつきつけたマサヨさん(56歳)。結婚して28年たったところで思い切った行動をとった。「双子の男の子と長女、3人の子どもたちが全員、社会人になったので、もういいかと。ちょうど夫も定年になりましたし。夫は目玉が飛び出しそうな顔をしていました。驚いたんでしょうね」
マサヨさんは笑うが、夫にしてみれば青天の霹靂だったのだろう。
「双子を産んで育てている日々は本当に大変だった。夫はまったく顧みてくれませんでしたね。あのころは週末もゴルフだなんだと出かけていましたし。たまには子どものめんどうを見てと言っても、ゴルフも仕事のうちだと。誰のおかげで、とは言わなかったけど、『オレが働かなかったら困るよね。オレが元気で働くことが大事だよね』とたたみかけられたこともある。私が家事育児で疲れ切っていても、『オレのメシは?』というタイプでした。年とって自分が元気だったら、絶対に離婚してやると決めたんです」
モラハラまがいの夫の言葉はすべてメモした。そのノートは20冊にも及ぶという。
長女が3歳になったころ、パートで仕事に出るようになった。徐々に時間を増やしていき、40歳で正社員の立場を獲得した。夫は「妻が正社員になると税制上、不利だ」と言ったが、マサヨさんは「アイデンティティの問題」だと押し切った。
「産後の恨みは怖いと自分でも思いましたよ。どんなに時間がたっても消えないから。確かに夫が元気で働いてくれたから今がある。でも働きやすい環境を作ったのは私。おたがいにがんばったよねという気持ちが夫に見えれば、恨みも薄らいだかもしれませんが、うちはそうではなかった。だから離婚を決めたんです」
夫は定年退職はしたが、そのまま嘱託としてグループ会社に勤めている。今がチャンスだと彼女は思ったそうだ。
「定年になったところで離婚届を突きつけられたら、夫も心が痛いでしょう。これで私の恨みも晴れると思ったんです」
夫は離婚を拒否したため、現在は弁護士を入れて話し合っている。マサヨさんは家を出てマンションを借りた。
「ひとりになって初めて解放されたと感じました。今までは子どもを人質にとられていたんだと思った。何かあれば、子どもを大学まで出してやることができない。私ひとりの給与では無理でしたから。子どもたちのために我慢したことは後悔していませんが、そもそもあの人と結婚したことは後悔しています」
それでも過去より未来を見て生きていきたいとマサヨさんは言う。だからこその離婚なのだ。恨みを引きずって生きるより、がらりと人生を変えたいから……。