コロナ禍でのストレスがマックスを超えてしまったように見える昨今、ストレスはそれだけではない。物価が上がるが収入は上がらない、学費は高く、奨学金は子どもに大きな重荷を背負わせることになる。さらに老後の年金など当てにもできない。多くの人が「生活が苦しい」と思うときがあるのではないだろうか。
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働くことに「本当に疲れた」

仕事を始めて20年、「本当に疲れた」とため息をつくのはトヨミさん(42歳)だ。

「大学を出てこの20年の間、仕事を続けながら結婚して出産もした。子どもは今、12歳と9歳になりましたが、彼らが小さいときより今のほうが私、疲れているような気がします」

特に体調が悪いわけでもないが、仕事への意欲がめっきりなくなった。会社始まって以来の女性役員を目指してやると思ったこともあったが、今はもう「そこまでがんばれない」と感じている。

「夫も家事をけっこうしてくれますし、外から見たら幸せそうに見えると思う。もちろん、不幸ではないし、夫との仲が悪いわけでもない。だけどとにかく疲れた。そう思う日が増えています」

ひたすら「疲れた」を連発するトヨミさん。会社の医務室に相談に行ったり、街の精神科クリニックにかかったりしたこともあるが、あまり状況はよくなっていない。何か大きな不満があるわけでもないし、身体症状が出ているわけでもないから、医師も対処のしようがないのかもしれない。

「何がしたくて今まで生きてきたんだろうと思うことがあって。私は私立の中高一貫女子校に通って、名の知れた大学に進学しました。そこまではある意味で、『親の予定通りの人生』を送っていたんです。でも職業を選ぶところから、何かを間違えたような気がしてならない。有名企業だからと入ってしまったけど、結局はそう簡単に女性に門戸が開かれているわけでもなく、結婚出産したら、なんとなく枠から外れた感じだし。会社に食べさせてもらうのではなく、自分の力で食べていきたかった。ただ、自分にはそんな実力も才覚もなかった。それを最近、実感します」

会社に勤めているのもまた実力であり、才覚であるはずだが、トヨミさんの自己評価は低い。
 

そのときは必死だったけれど

20代、30代は必死に駆け抜けてきた気がするとトヨミさんは言う。だからこそ、40代になってふっと気が抜け、今まで蓄積された疲労を自覚しているのかもしれない。

「夫に話してもわかってもらえない。そりゃそうですよね。立場が逆なら、私も『まだ子どもが小さいんだからがんばろう』と言ってしまうと思う。励まされると余計に沈んでいく。そんな感じなんです」

人生折り返し地点だなと感じると焦燥感も募る。自分は何をしてきたのか、これから何をすべきなのか、と。

こういう迷いに入り込む人は基本的にまじめで頑張り屋なのだ。だからいいかげんに生きられない。

「自分のしていることの成果が見えないんですよね。子育ても仕事もそう。子育てに成果を求めるのはおかしいと夫に言われますが、やはりいい学校に入ってほしいとは思うし、本人が満足する人生を送ってほしい。それが結果的に私の成果になる。だけどうちの子たち、夫に似たのかのんびりやだし、あまり勉強しないし、将来をどう考えているのか」

日々、成果が得られないと感じながら生きていくのはつらいかもしれない。少しのんびりやの夫を真似てみたほうが気楽に生きられそうだと第三者としては思ってしまう。

「きちんと生きないと気持ちが悪いんです。だけどきちんと生きてもたいした人生じゃなかったなと思ってきた。学生時代、適当に遊んでいた子が夫の収入でセレブな生活をおくっているのを知ったとき、すごくショックだったんです。私がどうがんばっても届かない暮らしをしている彼女は輝いていた。世の中、不公平ですよね。がんばってもいいことなんてほとんどない。人間、苦労ばかりしていると私みたいに萎びてしまうんですよ」

留まるところを知らない彼女の愚痴が、人生において正鵠を得ているような気がして思わず苦笑してしまう。彼女も思わず笑みを洩らした。

「やってられないと思うことばかり。それでも40代での目標はもたなければと思っています。子どもたちの受験がメインになるでしょうけど、私自身も仕事でせめて新しいスキルを身につけたい。もう出世街道からは外れているので、せめて専門を極めたい」

そう思いながらも、なかなか行動に移せないのは、やはり「疲れて」いるから。疲れていると感じないように、もっと忙しくするしかないのかなとつぶやいた。ずっとがんばり続けることをやめて、時には立ち止まってみるのもいいのではないだろうか。人生、おそらく「疲れる」ことばかりではないはずだ。
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