夫婦のどちらかが単身赴任をしている状況でコロナ禍となった家族も珍しくない。こういう場合、どうやって乗り切っていくのだろうか。
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単身赴任生活は寂しかった

「大変な日々でした」

そう言うのはマリさん(44歳)だ。マリさんはコロナ禍直前に、勤務先から単身赴任を命じられた。当時、結婚して12年、11歳と9歳の女の子がいた。

「会社からは、まだ子どもが小さいし大変なのはわかってる。だけど、支店にはどうしてもあなたの力が必要だと言われて、会社から認められたのがうれしくて、その場で引き受けてしまったんですよ」

夫に告げたのはその日の夜。もう引き受けちゃったんだけどと言ったら、さすがの夫も顔を歪めたという。

「うちの夫は、仕事は生活の糧を得るため、必要以上にしなくていいと考える人。私は仕事は私の存在価値だと思っているタイプ。お互いにスタンスが違うから、うまく補い合って生活していこうと話し合いながら、結婚生活をなんとかやってきたんです。でもこのときばかりは『オレがワンオペかよー』と情けない声を出していました」

ただ、娘たちは比較的、冷静だった。上の娘は「ママ、会社にいいように利用されてるんじゃないの?」とひどく辛辣な意見を発し、下の娘は「パパのめんどうをみるのが大変」とため息をついた。

「笑うしかないほど娘たちの反応が興味深かったですね。私は単純に『ママはあなたたちと離れて生活するのが寂しい』と言ったんですが、『テレビ電話もあるしさ』と長女に言われました。当初は2年という話だったし、毎月2回ほどは戻ってこられるということだったので、私のキャリアには絶対必要な2年間だと勇んで受けたんですが、まさかこんなことになるとは」

赴任してすぐコロナ禍に。マリさんが住んだ地方は当初は感染者数も少なかったが、東京との往復は3か月はまったくできなかった。

「けっこうホームシックになりましたよ、私は。寂しくてたまらなかったけど、娘たちがテレビ電話で毎日、励ましてくれました。仕事を途中で放り出すわけにもいかないし。コロナ禍でうち、逆に業績が上がったんです。だからもっとがんばろうと仕事に精を出しました。他にやることもなかったから」

東京の緊急事態宣言が解除されると、数日間、戻ってくる。そんな不安定な生活が続いた2年だった。
 

夫が新型コロナ陽性となって

ただ、いちばんつらかったのは、今年の初め、夫が陽性になったことだ。

「夫は基本的にリモートワークだったんですが、それでも週に2日は出勤するし、買い物にも出かける。娘たちの習い事の送迎もある。どこで感染したかはわかりませんが、なんとなく風邪気味だと思って検査を受けたら陽性だった。自室にこもり、食事などは娘たちだけで作ったみたいです。だけどマンションですからね、冬だったから換気も思うようにはできなかったんでしょう。娘たちも次々感染。聞いたときは、もう会社を辞めても自宅に帰ろうかと思いました。だけど帰っても今度は私が感染するだけ。幸い、娘たちは軽症で、すぐによくなったんですが、夫は一時期、入院したほうがいいと言われたほどでした」

自宅待機期間が過ぎて陰性になってからも、夫はなかなか味覚異常が治らず、ときおり頭痛に悩まされたという。何もできない自分が情けなく、せつない日々を過ごしたとマリさんは涙ぐむ。

「ゴールデンウィーク直前に、東京勤務が決まりました。赴任中は、それなりに成果があったと認められ、ホッとしましたね。連休には久々に夫や娘たちと旅行しました。娘たちの成長ぶりに驚かされましたが、がんばってくれた夫にも心から感謝しました。夫は『マリが単身赴任するという可能性は前からあったわけだし、時期が悪かったよね。マリも大変だったと思う。オレはそこまで仕事に精力的にはなれないから』とねぎらってくれました」

単身赴任という制度はまるで、江戸時代の参勤交代の名残なのだろうか。今の時代に本当に必要なのか疑問は残る。

「そうですね、このコロナ禍を経験したことで、うちの会社でもそういう声は出ているようです。企業が改革を迫られている時代だと思います。会社人間の私も、そろそろ意識を変える必要がありそう。今回はつくづくそう感じました」

家族とともに生活することが人間としての本分で、仕事はそのためにある。企業はもちろん、働く側もマリさんの夫のように考えられる人が増えていくと、社会は少し変化していくのかもしれない。
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