「サムライヘア」の小室氏は鋼のメンタル?
写真:代表撮影 / ロイター / アフロ
秋篠宮眞子内親王と結婚間近と言われている小室圭氏が、日本時間9月24日、ニューヨークで激写された。スーツにノーネクタイ、伸びた髪を後ろでくくった姿は「ロン毛?」「落ち武者みたい」「サムライヘアか」とネットをにぎわせている。どうせなら金髪にでも染めればもっとインパクトがあったのに……。
何を言われても答えず、表情ひとつ変えない彼の鋼のメンタルに興味をそそられる。
小室氏30年の人生
眞子内親王と小室氏、さらに双方の家族にまでバッシングが止まらない。人々がこれほどまでに皇室好きだったのか、あるいはストレスがたまる中、叩けるところはここしかないと思っているのかはわからないが。
借用証のない借金問題に端を発した一連の騒動をどう評価すべきなのかはわからないが、個人的には小室氏の30年の人生に興味をそそられる。あくまでも彼の目から見た人生を探っていきたい。
小室氏は1991年10月、市役所勤めの父と母の長男として生まれた。幼い頃からピアノやヴァイオリンを習い、東京都国立市にある国立音楽大学附属小学校に入学。だが10歳のときに父が自殺、以後、母の佳代さんは女手ひとつで息子を育ててきたといわれている。
中高はカナディアンインターナショナルスクールに通っていた。経済的には大変だっただろうと推測できる。大学はICU(国際基督教大学)へ。「海の王子」になったり、UCLAに交換留学したりと学生生活を謳歌している。ごく普通の若者である。
そして2012年、大学がおこなった交換留学生のための説明会で眞子内親王に出会ったというのが公式発表。だが実際、親しくなったのは東京・渋谷区の飲食店で開かれた留学に関する意見交換会の席のようだ。大学の教室よりずっとフランクに話ができ、そこでお互いの印象に残ったのは想像に難くない。
一般人が同世代の独身皇族と出会い、親しくなるのはめったにないことだ。好奇心はあるだろうが、男女関係を意識するような関係になることは避けたがるのではないか。「いろいろめんどう」だから。
ところが鋼のメンタルを持つ小室氏は、「めんどう」だとは思わなかった。幼くして父を亡くし、「母を守る」と決意した彼が、日本一、不自由さを抱えた清楚な女性に出会ったとき、今度は「彼女を自由にさせてあげたい」と思ったりはしなかっただろうか。
一般的に言って、不遇な女性を「なんとかしてやりたい」と男心がくすぐられる男性は少なからずいる。
眞子内親王は「しっかり者で、親にもきちんと意見をする女性」だといわれていた。だが、もちろんそれは皇族内でのこと。世俗にまみれていない分、よくも悪くも「世間値」(世間一般での価値観)は低い。その分、思い込みは強いだろう。自分から逃げようとしない小室氏に、どんどん思いが深くなっていっても不思議はない。
華やかな経歴の裏に欠落感?
一方、華やかな経歴だが、その裏に母子家庭で育った小室氏の欠落感があったのではないか。欠落感のある人間は、自分が他者に愛情をかけることでそれを埋めようとする傾向がなきにしもあらずだ。
つきあって1年、小室氏は「将来、結婚しましょう」と眞子内親王にプロポーズした。皇族と縁戚関係になることで自身に箔をつけたかったのか、あるいは眞子内親王への「命を賭けた愛情」があったのか、そこを判断するのはむずかしい。
ともあれ、ふたりは将来を約束した。
ICUを卒業後、小室氏は三菱東京UFJ銀行(当時)に就職するが、1、2年程度の短期間でやめている。その後、都内の法律事務所でパラリーガルとして働きながら、一橋大学大学院(国際企業戦略研究科、社会人向け夜間コース)に通った。修士論文も提出している。金融から法務、さらには国際関係へと、目的がコロコロ変わっている印象があるが、自分には何が向いているかを探っていたのかもしれない。
すべてを手に入れる、図抜けた何か
とはいえ、目的を見つけて行動すると、すべて手に入れてしまうのだから、その能力は図抜けたものがあるのではないだろうか。
2016年10月、眞子内親王と小室氏が東急東横線の車内で、互いのスマホを覗き込んでいる様子がスクープされた。護衛官が遠巻きに見守る中、ペアリングとブレスレットをつけている若いカップルのいちゃいちゃぶりが伝わってくるような写真も残されている。翌年5月、NHKが近くふたりが婚約と報じた。
2017年9月、小室氏は眞子内親王の「内定婚約者」となり、記者会見がおこなわれた。その3カ月後、小室氏の母・佳代さんの借金トラブルが報じられ、2018年2月に結婚関連の儀式は2020年に延期となった。すると小室氏は18年8月にニューヨークのフォーダム大学ロースクールに、突然留学してしまう。
「国内のことは私に任せて、あなたは勉強してらっしゃい」と眞子内親王に言われたかどうかは定かではないが、密かに彼女が彼を逃がしたようにも見える。目先のことでなく、将来を見据えてじっくり策を練ったのかもしれない。このあたりに眞子内親王の忍耐強さが感じられる。
その後、秋篠宮一家を巻き込んでの大騒動が延々と続いてきたのはよく知られたところだ。
「なんらかの申し開きをせよ」と秋篠宮に言われた小室氏が、28枚にも及ぶ説明書を公表したのは今年4月。28ページなんて誰が読むんだと騒がれたものだが、これはおそらく眞子内親王とも相談した結果だろう。「丁寧に説明すればわかってもらえる」と眞子内親王は踏んだのではないだろうか。そこが世間知らずゆえなのだが。
5月には約3年におよぶロースクールを卒業。インターナショナルスクールに通い、留学もして英語には堪能だったとはいえ、小室氏はICUで法学部だったわけではない。母国語でない言語で専門性の高い勉強を続け、きちんと卒業したところを見ると彼にはやはり相当な能力があるのだと思う。自分が勉学をまっとうすることで、秋篠宮はじめ世間は認めてくれると信じていたのかもしれない。
「眞子内親王の婚約者」じゃなかったら
単なるひとりの男性として考えたら、20代のうちにキャリアを選び取った小室氏はよくがんばったのではないだろうか。一般女性の目で見ると、ニューヨークで新たなキャリアを積み重ねていく新人弁護士は「ハイスペ男性」だろう。眞子内親王と出会わなかったら、彼は「もっと気楽につきあえる女性」と恋をして結婚していたかもしれない。だが逆に言えば、眞子内親王と出会ったから、それだけのキャリアを積めたともいえる。どちらがよかったのか、どの道が正解だったのかは誰にもわからない。