「離婚したい」と夫に言ったら義母がでてきて大騒ぎに
結婚はふたりの意志でおこなうもの。となれば離婚もふたりの意志で決めればいいことだ。だが結婚以上に、離婚時には親が関与してくるという話をよく聞く。
結婚して13年、夫との関係はずっと微妙だった
「離婚したいと思ってから、実際に離婚するまで2年かかりました。その間、ずっと夫の親から嫌がらせみたいな感じで攻撃され続けていました」
離婚して1年たち、ようやく落ち着いてきたというアキさん(45歳)。29歳のときに同僚だった3歳年上の男性と結婚し、子どもをふたりもうけたものの、夫との関係はあまりいいとは言えなかった。
「本当は結婚したのが間違いだったと思うんです。私、その当時、つきあっていた人と別れたばかりで、アプローチしてきた彼についすがって結婚してしまった。夫はいい人なんですけど、人間同士として関係を深めようとする努力をしないタイプなんですよね。毎日が習慣で流れていけばいい、自分が帰ったときにごはんがあればいい。家庭内でめんどうなことがなければいい。そういうことなかれ主義なんです。私はもっと夫婦でいろいろ話したかったけど、夫は微妙に深い話を避けるところがありましたね」
子どものことはかわいがっていたが、やはり子どもとじっくり話し合うのは苦手なようで、一緒に遊ぶにはいいが、子どもに人生を教えてやれるタイプではないなとアキさんはいつも思っていたという。
「共働きなのに、家事はほぼ私がやっていました。夫は週末、たまにお風呂掃除をするくらい。今は15歳と12歳になっていますが、子どもたちが小さいころは本当につらかったです」
たまに義母が手伝いに来てくれたが、手伝い以上に口出しが多く、それにも辟易とした。
「義母にとっては息子だから、いろいろ心配するのはわかるんですが、ストレスたまりましたね。上の子が5歳のとき、ストレス性の難聴になりましたから」
それでもアキさんががんばって家庭を守ってきたのは、「結婚したら離婚はしたくない」と思っていたから。家族揃っていれば、いつかはいいときが来ると信じていたからだ。
夫を信用できなくなって
そんなアキさんが「離婚」を考え始めたのは、夫が性風俗の店に通っているのがわかったから。たまたまスーツのポケットに入っていた会員証を見つけたのだ。「夫にこれは何と問いただしたら、素直に認めたんですよ。こういうところへ行くのはどういう神経なのかと尋ねると、『オレは酒飲まないから』って。飲み会などでお金を使わないから風俗に行って何が悪いという感じでした。『私としては楽しい話ではないけど』と言ったら、『そうなんだ』と。さっぱりわかっていない」
アキさんは、もし私が女性用風俗に通って男性からサービスを受けていたらどう思うのかと聞いた。すると夫は『それはマッサージに行くのと同じでしょ。スッキリするのならいいんじゃない?』と言ったそう。
「他の男性に素肌を触られたりしてもいいのかと聞いたんです。『その男と駆け落ちでもされたら困るけど、お金でサービスを買っているだけなんだからかまわないでしょ』と言っていました。それで私、なんだか混乱してしまったんですよね」
夫が言うように自分がおかしいのか、でも感覚としてやはり嫌だ、しかしこれは認めるべきなのか……。アキさんは悩み続けた。
「だけど体は正直で、そういう夫と夜の生活はできなくなったんです。夫が近づいてくると、よけるようになってしまった。夫は怒ることもなく、淡々とふだん通りの生活を続けていましたが、私はどんどん夫を受けつけなくなっていった。しまいには夫の使ったお茶碗や箸を洗うのに、わざわざ厚手のゴム手袋をつけるようになったんです。自分で、これはまずいなと思いました」
理屈ではなく、“生理的に”夫を避けたくなっていたのだ。頭には離婚の二文字が浮かび続けた。
「あるとき、急な残業が入ったので夫に連絡を取って早く帰ってもらったんです。何でもいいから夕飯を用意してと頼んだら、子どもたちと近くのファミレスに行ったみたいでした。それならそうと連絡をくれればいいのに、何も言ってこないから私は夕飯を食べずに帰宅、何もないからインスタントラーメンを食べていたんです。本音としては、私にも何か買ってきてくれればよかったのにと思いながら。そうしたら夫が、『なあんだ、この時間に帰ってくるのなら、オレは夕飯を待っていればよかったなあ』って。それを聞いてカッとしたんですよ。子どもに食べさせるのが最優先であるという感覚がないこと、どんなときも自分は夕飯を作ろうとしないこと。『作っておいてくれてもよかったんだけどね』と嫌味を言いましたが、そういう言葉はスルーするんです。意味がわかってないのかもしれません。そのとき、私はもうこの人と家庭を維持するという幻想を捨てようと思いました」
そこで離婚という言葉を口にした。もう一緒にやっていける気がしない、と。すると夫は何も言わなかったが、翌日、早速義母がやってきた。
「いつもは口やかましい義母が、いきなり土下座したんですよ。子どももいる前でですよ。『うちの息子を捨てないで』って。子どもたちはびっくりするし、私は呆れて口もきけませんでした」
夫は何も言わないのに、義母はそれからも三日とあげずやってきて、「どうなの、気持ちは変わったの? 私が謝るから」と謝罪とも言えない謝罪を繰り返した。
「夫にふたりで話し合おうと言っても避けられて。結局、2年後に夫を追い出しました。離婚届をしつこく突きつけていたら、夫が実家に帰ってしまったんです。最後まで話し合いはしてもらえなかった。家は賃貸だったので、私と子どもたちは家賃の安いところへ越し、夫は養育費だけ毎月払うという条件で離婚しました。夫は子どもの学費等に関しては支払うから連絡してと言っています。離婚するときも淡々としていましたね。義母は最後まで私を見ると土下座しようとしていましたが、『お義母さんのせいで離婚するわけじゃないんです、ふたりの問題なので』と何十回も言うしかなかった」
夫が母親に収束を頼んだのか、母親が勝手に割り込んできたのかはわからない。だが、義母が入ったことで、結果的に人生の再スタートが遅れたような気がするとアキさんは言う。夫がきちんと話し合えない性格になったのは、幼いころからああやって母親が介入していたからではないかと、今もアキさんは思っている。
「別れても父親は父親。子どもたちもたまに会っているようですし、元夫が父親としての責任を果たしてくれようとしていることには感謝しています。どこか情緒的に変わった人ではありますけど」
子どもたちと3人で暮らした1年、コロナ禍もあり、手探りでの生活だったがなんとかやってこられた。これからもがんばっていきますと、アキさんは明るい笑顔を見せた。