困っている相手にお金を差し出すのも愛?
貯蓄がうまくいかないと悩んでいる人は少なくないのではないでしょうか。それでも順調に資産を作り上げている人は実際には存在しています。金融広報中央委員会が発表している「家計の金融行動に関する世論調査[単身世帯調査](令和2年)」によると、30代の金融資産保有額が1000万円を超えていると答えているのは、全体の9.1%(ここでいう「金融資産」は運用のためまたは将来に備えて蓄えているもので、金融資産を保有していない世帯を含む)。30代の金融資産保有額の平均は327万円、中央値が70万円だといいます。こうしてみても、30代で1000万円以上の金融資産を作り上げている人は少数派といえるでしょう。この1000万円以上の金融資産が、奨学金を返済しながら築き上げたものだったとしたら……。その苦労は計り知れません。しかし、そんな財産をすっかり失ってしまった女性がいます。男女の人間関係に関する著書も多いフリーライター、亀山早苗さんが、お金にまつわる複雑な人間模様のお話をお届けします。
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「愛を形にする」といったら、何を思い浮かべるだろうか。相手のために手間と時間と労力を惜しまないのが愛なのか、困っている相手にお金を差し出すのも愛ではないのか。今もそれについて考え続けている女性がいる。
自分が騙されたとは思っていない……その真意とは?
つきあって1年、結婚の話も具体的に
「私は今も自分が騙されたとは思っていないんですよ。でも結果的には文無しになってしまった。自分からしたことだけど後悔はありますね。まじめに生きてきただけなんですが」マヤコさん(39歳)は、腑に落ちないといった表情で首を傾げなら、言葉を紡いだ。3年前、3歳年下のナオヤさんと知り合ってつきあうようになった。
「つきあってすぐ、『マヤコとは本当に気が合うよね。結婚を考えてもいいかな』と。私はどうしても結婚したいと思っていたわけではないんですが、彼とならしたいと思いました。とっても前向きだし明るいし、まじめだけが取り柄の私にとって、彼は新しい風みたいに思えたんです」
生活苦だった親のようになりたくない
大学を卒業後、マヤコさんは第1希望だった企業に就職。最寄り駅から徒歩20分という小さなアパートに住み、節約しながら生きてきた。「うち、あまり裕福ではない家庭だったんです。大学まで全部公立、それでも奨学金を借りたからその返済もあったし、親みたいな暮らしをしたくなかったので貯金はしっかりしたかった」
“親みたいな暮らし”とは手厳しいが、マヤコさんの両親も決して怠けて暮らし向きが悪くなったわけではない。マヤコさんは母が40歳、父が50歳のときの子だ。両親は結婚したのが遅かった上に、なかなか子どもができなかったのだ。
「私が10歳のとき、60歳になったばかりの父が自殺したんです。定年後、体調を崩した父は働く場所もなく、苦悩していたようです。母のパート代だけでは暮らしが成り立たなかった。でも生活保護は受けたくない。自分が死ねば、いくばくかの生命保険が入るかもしれないと思ったのかもしれません。生命保険は数百万円だったから、命を懸けるほどのものではないですよね」
母は「私があの人を殺したんだ」と悔いていたという。
「夫婦ふたりなら、なんとか暮らしていけたんでしょうけど、私がいたために、ふたりの老後はつぶれてしまった。中学生くらいになると、私はそう考えるようになって苦しかった」
高校生になると、学校にも相談した上でアルバイトを始めた。母とふたりの暮らしは、どこか気詰まりだった。
「父の親戚とはもう縁が切れているような状態だったし、母も身寄り頼りがない。18歳になると私は近所のスナックで、内緒で働き始めました。母と顔を合わせる時間が減るし、いいバイト代をもらえるし。あのバイトがあったから、勉強時間も確保できたんです」
大学に入ると友人とルームシェアをすることになり、家を出た。
「それでも育ててくれたんだからと、就職してからはときどき母を食事や旅行に連れ出しました。でも私が27歳のとき、母は急逝したんです」
親との関わりを振り返ることはできなかった。関係性を考える前に、貧しかったつらさがよみがえるからだ。給食費を払えなかったこと、中学の部活で自分だけユニフォームが作れなかったこと。大学に入ってバイトと勉学を両立するまで、ずっと「お金がなくて周りに合わせられなかった」コンプレックスがあった。
せっせと貯め続けた1500万円を……
ナオヤさんと知り合った36歳の時点で、彼女には1500万円の貯金があった。自分の楽しみのためにはほとんど使わず、海外旅行は一度、格安旅行で韓国に行っただけ。楽しかったし、また行きたいと思ったが、お金を使うのが怖くて行けないままだ。「大学時代の友だちとはたまに会いますが、居酒屋ですね。コロナ前でも外食は月に1、2回。つきあい以外ではお金を使いません。洋服なんて何年も買わない。就職したばかりのころに買ったスーツを、今も必要に応じて、たまに着ることがあります」
そんな彼女がナオヤさんに出会ったからといって、急に派手にはならないだろう。つきあって8カ月たち、ふたりで結婚について具体的に話したときも結婚式はしないと意見が一致した。
「そのとき彼がふっと漏らしたんです。『いつか独立して起業したいけど、マヤコには迷惑をかけないから』って。彼ならできると確信しました。一生懸命、仕事関係の勉強もしていたし、生活もまじめだったから」
マヤコさんは彼をかけがえのない存在だと思っていた。だから結婚しようと思ったし、彼の起業も応援したかった。
「もし準備ができているなら、結婚より起業を先にすればいいと言ったのは私です。そして彼に1500万円を預けたのも私。これでちゃんと会社を立ち上げてと、現金で渡しました」
彼は彼女の部屋でそのお金を受け取り、泣いた。起業する資料や書類はすべて見せてもらっていたし、彼女自身も納得できるものだったから「あくまでも投資したつもり」だという。彼も「儲けたらお金は返すし、利息もつける」と言ってくれた。
「一生、マヤコのことを大事にする。彼はそう言ったんです。そして行方がわからなくなりました」
肉体があったということ以外は、すべてが嘘
いつもすぐに返信をくれる彼のSNSがつながらない。すべてのSNSから彼が消えていた。「彼のひとり暮らしの部屋ももぬけのから。管理人も、『ほとんどの荷物はそのままで急に引っ越していった』と言うし、不動産屋を訪ねても行き先はわからなかった。実家の番号だと教えてもらっていた電話もつながりませんでした。彼の勤務先に電話をかけたけど、そういう名前の人はいませんと言われて。彼はどこの誰だったのか……」
1年つきあっていたものの、目の前の彼に肉体があったという以外の情報は、すべてが嘘だったのだ。
「私たちには第三者がいなかったんですよ。知り合ったのはふらっと立ち寄った無料の画廊でした。絵を観て外に出たら、彼が追いかけてきたんです。彼も仕事途中でふらりと寄っただけだったみたい。お互いの友だちにも会わせたこともないままでした」
しょっちゅうデートはしていたが、彼もそれほど華美な生活を望んでいなかったので、週末、どちらかの部屋で会ってDVDを観たり一緒に食事を作ったりすることが多かった。一緒にいれば楽しいという8カ月間だったのだ。
「幸せを夢見た私がバカだったんでしょうね。学生時代の友人は被害届を出したほうがいいと言ったけど、自分から預けたので“被害”じゃないんですよ。せっせと貯めてきたお金は残念だったけど、またゼロから貯蓄するしかありません」
ただ、ふっと思ったことがある。
「お金がなくなって生活が厳しくなるなんて、誰にでもあることなんだなと思いました。生活苦だった両親を心のどこかで冷ややかに見ていた自分が恥ずかしくなった。うち、お墓がないんです。両親のお骨は私の部屋にある。いつかお墓をたてようと思いました。それが私の今の目標ですね」
すべてを失ったからこそ、見えてきたものがある。そう言いながらマヤコさんは、「そうでも思わないと暗くなっちゃうから」と微笑んで見せた。
教えてくれたのは……
亀山 早苗さん
フリーライター。明治大学文学部演劇学専攻卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、講談、浪曲、歌舞伎、オペラなど古典芸能鑑賞。All About 恋愛ガイド。