もともとアウトドア派かインドア派かと問われれば断然のインドア派。仕事もほぼ在宅で完結するライター。だからコロナ禍での緊急事態宣言、ステイホームの大号令にも比較的粛々と従って過ごした。なるべく規則正しくあれかしと家族とも言いすごした。
けれどもいま(2020年末)から振り返ると、やはり準備も心がまえも不十分であったような気がする。にわかに示されたステイホームを守ることで手に入れた安心と引き換えに、手放して失われてしまったなにかがあるような気がしている。
コロナ禍。「他人」と、極端にエンカウントできない生活となった。「他人」とはわたしにとって、ストレス源であるより、おそらく娯楽や刺激だった。だいぶ後になって気づいた。コロナ以前よりやや引きこもりがちなライフスタイルであったがゆえだろう。
人寂しさは、それまでもスマホのアプリで聞くことはあったラジオを、モバイルラジオでリアルタイム聴取する行動をもたらした。もとは防災用品として買い置いていた「AM/FM モバイルラジオ」で、朝な夕な、スピーカー越しに聞く肉声。
気をつけて聞くと、ときどきふだんと違う響き方をするのに気づく。発信者もステイホームで、自宅から送っているためだった。じきに自分がレギュラーでいただいているラジオの仕事も自宅から行うようにもなった。わたしの声もきっとこんなふうに聞こえているんだろうなと思った。
緊急事態宣言で地域の公立図書館はすべて閉まり、書店などにも気軽に行けなくなった。誰かの手に触れたものを宅配で購入すること自体にも抵抗が生まれ、しぜん電子書籍ばかりを購入することになる。
電子書籍購入歴は6年ほどあり、それまでもあたらしく買う本の8割はもう電子書籍だった。その比率がさらに上がった。子どもに買う本も電子書籍が増えた。
たまたまそんな状況もあり、家族すべて、3人の子どもたち全員にも前年買い与えてあったKindleデバイス「Fire HD 8(第 7 世代)」が俄然役立つことになった。どこに出かけられるでもない日々に多量のマンガを自由に読める環境は多少の気晴らしになったろう。折から新書のセールなどもコロナ禍にあり、数十冊を購入したり、話題のマンガも全巻一気買いしたりした。
例年洗剤や家電などの家庭用品の新商品については、仕事柄発表会やデモンストレーションを体験してきたものだが、こういった機会が全てなくなったのもコロナ禍ゆえだった。新商品の体験には試用品の送付を待つことになる。そうやって家庭において使うことで良さを実感してしまう経験というのは、一種の怪我の功名なのかもしれないとも思う。
ステイホーム期間を終えた後だが、試用する機会をもらってみて驚いたのが、新製品「Dyson Micro 1.5 kg」のあまりの軽さだった。数年前から四十肩を患って以降、容易に重みにへこたれる私の利き手がこれにとらわれてしまい、数週間の期限で送り込まれていた試用品をそのまま買い取ることになった。
生活は汚れをもたらす。生きるだけ、動くほどに住まいは汚れる。住まいに「不在」の時間が長ければ部屋の空気中に舞ったホコリが落下するまでの時間が経つうち人ごととなり、その単純な機序に思い至りにくくなるところが「ステイホーム」は現実を直視せしめた。居れば居ただけ汚れるのだ。ならば居ながらにして掃除するしかない。
「家」電と名づけられるもの、すなわち暮らしとともに、すぐそばにありそのありがたさを忘れがちな存在だ。どんなに驚きの新技術であってもわたしたちはすぐにそれに慣れる。10年前から既存のような顔をしているもの、新しいように見えて数十年前からあるもの、あまり意識することもない。そのくらいのもののほうが優れている。違和を忘れさせる。
そうやって暮らしに溶け込むほど、そのものの優劣を判断し難くなる。おそれながらわたしに「なにが一番」かの認定はやりにくい。ただ今年を助けてくれた3つの「家電」を、感謝を込めて、ここに記しておきたい。
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