「生活」を共にすることは「当たり前」を共有すること
ラブラブの日々のはずなのに……最初はうまくいかなくて当たり前です
同居は、異文化交流です。
日本人だから同じ文化だと思いきや、大違い。どれほど気が合っても、交際期間が長くても、「生活」を共にすることで浮かび上がってくる「当たり前」の違いは、必ずあるもの。人によって「気になること」「こだわっていること」が違うのだから、仕方のないことです。
例えば、
□外から帰ってきてすぐに手を洗うかどうか
□玄関で靴をそろえるかどうか
□洗面所のタオルを交換する周期
□お風呂の入り方・沸かす頻度
□タオルやバスタオルの使い方
□トイレの便座や蓋を閉めるかどうか
□トイレの後、手を洗うかどうか
□洗濯物の干し方やたたみ方
□食器の洗い方や洗うタイミング
□料理の作り方(だしを取るか、だしの素を使うか)
□盛り付け方(大皿料理か、小皿に個別に入れるか)
などなど、本人にとっては「当たり前」のことばかり。「無意識の行動」が互いに違うのですから、イライラしてしまうのは仕方のないことでもありますよね。
争うのではなく「違う」ということを伝え合い受け入れる
違いはいろいろあるけれど、家事を協力する楽しさも!
一緒に暮らせば、「えっ?」と驚いてしまうこともたくさんあります。でも、「どちらが正しいか」を競うのは時間と労力のムダ。いろいろなやり方があるものです。主張して譲らないことは、「二人」よりも「自分」が大切と言っているようなもの。二人で暮らしたいなら、互いに「違う」ことを認識したうえで、以下のどちらかにしていくしかありません。
(1)どちらのほうが気持ちいいかを考慮してやり方を統一する(片方が折れる)
(2)お互いに「自分のやり方」を通しつつ相手のやり方には目をつぶる
生活を共にすることは、「二人の家庭」をあらためて作り始めるということ。つまり、「一から築き始める」ということなのです。これまでの自分の手法は、あくまでも自分の両親が作った家庭の手法です。それぞれの手法を持ち寄りつつ、互いの妥協点を見つけるという、クリエイティブな方向に話を進める必要があります。
「確認」と「私は○○したほうがいいと思う」をセットで伝える
好きな人と衣食住を共にすることは、本来、とても幸せなこと。違う=悪い、でも、違う=別れる、でもないはずです。ゆっくり受け入れ合って
では、どのように伝えるとケンカになりにくいのでしょうか。事例で見ていきましょう。
(1)彼氏が食器を洗ったが洗いかごに食器が山盛り
悪い例:
彼氏「お皿洗っておいたよ(効率よく積んだつもり)」
彼女「あ~ そんなに積んだら危ないじゃん! 乾きにくいし、不潔!
もう、私が拭くから、食器棚に片づけてよ!」
↓ ↓ ↓
改善例:
彼氏「お皿洗っておいたよ(効率よく積んだつもり)」
彼女「ありがとう! でも、この置き方だと乾きにくくないかな?
お皿は立てて置いたほうが、早く水が切れると思うよ。
今日は多かったんだね、私拭くしいっしょに片づけよっか」
(2)夏場に食器を熱いお湯で洗う彼女に倹約家の彼がダメ出し
悪い例:
彼女の洗い物の後、蛇口をひねると熱めのお湯が出てきてびっくり。
彼氏「こんな熱いお湯を使って! ガス代がもったいない。冬ならわかるけど、夏場は水で洗えるでしょ?」
彼女「理由も聞かずに、ダメ出しして! うちはいつもお湯で洗う習慣なの!」
↓ ↓ ↓
改善例:
彼女の洗い物の後、蛇口をひねると熱めのお湯が出てきてびっくり。
彼氏「洗い物ありがとう。夏場なのに、お湯で洗うの? どうして?」
彼女「あ、うちの実家は、夏場でも少し熱めのお湯ですすぐの。水切れがよくて早くスッキリ乾くのよ。布巾で拭くよりも、そのほうが清潔でしょ?」
彼氏「なるほど。そういう方法もあるのか」
大切なのは、
・相手の行為にまず感謝する
・相手の手法に疑問を感じたら理由を確認する
・自分の手法はアイメッセージで伝える
アイメッセージとは、「あなたのやり方はダメ」などの「あなた(YOU)」を主語にした言い方ではなく、「私は、こう思う」という「私(I)」を主語にした言い方のことです。
それぞれの家庭が積み上げてきた習慣を互いに認め、「そういうやり方もあるのか」「そういう事情もあるのか」と、「観察」する気持ちで客観的に受け止めて。得手不得手があるのなら、互いに得意な作業をしてもいいですよね。「相手に任せる」「相手にゆだねる」ということも大切です。
ずっと関係を続けていきたいほど好きなら、互いに相手を尊重すること。拒否するだけじゃなく「新しい手法を取り入れること」を楽しむ気持ちが大切です。共同生活をすることは、夢見ているほどロマンチックではないかもしれないけれど、決して大変なことばかりではないはずです。