すでにテレビやインターネットなどで、会見でのコメントをご存じの方も多いことでしょう。
とてもすっきりとした表情で、「今24歳で、スケート界ではベテランの域に入ってきていますので、もちろんジャンプの技術も大切で、それを落とさないことが目標ですけど、それだけではなくて、大人の滑りができればいいなと思います。自分の滑りを見てもらいたいな、と思います」と話した浅田選手を見ていると、自然とこれまでの彼女が思い出されました。
人となりがあらわれる、浅田選手の演技
彼女を初めて見たのは、2002年7月のエキシビション「野辺山サマーフェスティバル・オン・アイス」でのことでした。「どの選手が浅田真央さんかな?」と探さなくても、彼女の存在はすぐに目に飛び込んできました。小さいのに元気いっぱいでどこか華やかで。それからは、あれよあれよという間に日本の、世界のスタースケーターに成長した浅田選手。バンクーバー五輪後、ジャンプを基礎から見直すなどして思うような演技ができない時期を経てソチ五輪へ。そして、日本中が涙したといっても過言ではない、気迫のこもったフリーに繋がっていくドラマティックな彼女のストーリーを、折に触れて見聞きしてきました。
2002年の夏のあの日以来ずっと、大会やアイスショーに足を運ぶたびに「今日も浅田選手の演技を見られるな」とか「浅田選手、楽しみだな」と、心のどこかでひとり静かに思ってきたように思います。
どのスケーターにもそれぞれにかけがえのないドラマがあり、皆いろいろなものを乗り越えてきています。だからこそ、すべてのスケーターにいい演技をしてほしいですし、どの演技も楽しみです。
ですが彼女のことは、他の選手たちに感じるのとは違った気持ちで、意識しているようなしていないようなところで、いつも待ちに待ってきたように思います。
その理由は、トリプルアクセルを跳べるからとか、笑顔が素敵だから、というようなことだけではありません。たった数分間のプログラムに、人となり、彼女という人自体が、描き出されるからかもしれません。一身にスケートに打ち込んできた、まっすぐで圧倒的にピュアなものが白日の下にさらされるとき、観る人の心はとらえられてしまうのかもしれない、と今は思っています。
その最たる演技が、ソチ五輪のフリーだったかもしれません。さらに個人的なことですが、辛いことややるせないことがあると、私は彼女のあの演技を見返します(アルベールビル五輪の伊藤みどりさんの演技とともに)。あの4分間を見るだけで胸が震え、自分の中の邪悪なものを追い払え、自分のこれまでに自信を持つことができるからだと感じています。
どんなものを見せてくれるのか
そんな風に思わせてくれた彼女が、「(ソチ五輪シーズンを)『最後の1年にしよう』と思って頑張ってやってきましたので、やり切った気持ちが大きくて、スケートをまたやりたいなと思うことがなかったです」という時期を経て、再び「自然と試合が恋しくなり、試合でいい演技ができたときの達成感をまた感じたいなと思い始めた」というのです。競技生活への復帰をめざして練習を始めたからではなく、ずっともやもやとわからなかった自身の気持ちを、今の時点で見定めて、新しい方向を見て進んでいこうと決められた、ということを、ただただ嬉しく思います。
競技に復帰すると、必然的に結果や成績を求められてしまうでしょう。ですが、以下に紹介する、この日一番印象的だった彼女のコメントを思い出すたび、どこかでまた達成感を感じる彼女の姿や、彼女が見せるかもしれないスケートに打ち込み続けた先にしかないもの……そういうようなものを静かに待ちたい、そう思います。
「いろいろな思いはありますが、今は自分に期待しながら練習をしているところです」
たくさんの風景を見せてくれて、さまざまな感情で揺さぶってくれた浅田選手が、これから、いったいどんなものを見せてくれるのか、静かに期待します。