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フェルナンデス選手について、個人的な思い

フィギュアスケート界では世界選手権が終わり、大きな節目を迎えました。新チャンピオンになった男子シングルのハヴィエル・フェルナンデス選手についての個人的な思いです。

執筆者:長谷川 仁美

桜が満開になり、日本に春がやってきました。

フィギュアスケート界では世界選手権が終わり、シーズンの大きな節目を終えたところです。今シーズンの世界選手権では、男子シングル、女子シングル、ペア、アイスダンスの4カテゴリーすべてのチャンピオンにとって、今回の優勝が初めてのものでした。

どの選手にとっても嬉しい初優勝で、笑顔や感涙などさまざまな表情を見せてくれましたが、男子シングルのフリーで、試合の流れから自分がほぼ優勝したとわかった時のフェルナンデス選手(スペイン)の表情が、私にとってはもっとも印象深いものになりました。

ジャンプが素晴らしかった、15歳、無名の選手時代

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非常に個人的な思い出になりますが、私が彼を初めて見たのは、2007年の東京での世界選手権の練習のとき。まだ15歳で、身体も細く、無名のいち選手でした。

ショートプログラム前の公式練習が、たしかブライアン・ジュベール(フランス)らと同じ練習時間だったのですが、力強いジャンプを跳ぶジュベールがいるにも関わらず、フェルナンデス選手のトリプルアクセルがとても目を引いたのです。といっても、トリプルアクセルが安定していたからではなく、力いっぱい踏み切って激しく転倒する大きなジャンプがとても気持ちよかったから。

何年後かに彼にそのときのことを尋ねると「初めての世界選手権で、なんだかわからなかった。すごい選手たちが周りにいて、緊張していたんだよ。まだ、トリプルアクセルも上手じゃなかったよね」とのことでした。

たとえ転倒しても、ジャンプの大きさや気持ちよさが印象的で、一緒に取材していた編集者らと「あの選手、とてもいいジャンプ跳んでるよね」と話したのを覚えています。もちろんその時は、後に世界選手権で優勝し、ヨーロッパ選手権3連覇を成したりするような選手になるとは、想像もしていませんでした。

翌年の世界選手権(イエテボリ)に行くと、今度は4回転を跳べるようになっていましたが、まだ英語が話せなかった彼へのインタビューでは、「夢は、五輪に出ること」といったことも、コーチが通訳してくれました。2年連続ショートプログラムで足切りにあい、フリーに進出できず、がっかりしていた表情もよく覚えています。

2009年の世界選手権(ロサンゼルス)では初めてフリーに進出。2010年にはファンも増え、夢だったバンクーバー五輪に出場し、このころには英語で十分にコミュニケーションできるようになっていました。2011年にブライアン・オーサーに師事するようになったころから大会でのメダリスト常連になって、あっという間に世界トップ選手になり、英語もまるで子どもの頃から話していたようにすらすらと話せるように。2012年からは、羽生結弦選手もオーサーコーチのもとに移ったこともあり、トレーニングメイトでありライバルでもある存在としても知られるようになりました。

そうやってこの8年間、気づけば彼のことを結構しっかりと見つめてきた気がします。
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