一部上場企業の管理職から開運カフェのオーナーへ
中央大学法学部卒業後、資生堂へ就職。管理職として勤務する極めて安定した生活から一転、開運予報士とともにカフェを経営する起業家となったオールアバウト手相ガイドの織路さん。そこには、どんな人生の転機があったのでしょう。(第1回目のインタビュー『2015年、金運がアップする風水をズバリ!』から続きます)
趣味だった占いが仕事でも役に立った
占いカフェ「はこにわプレート」を経営する占い師の織路さん
織路由麻(おりじゆま)さん 私自身はごく普通の会社員の娘なのですが、小学校の先生の勧めで何となく中学受験をして、関西の超お嬢様学校へ進学してしまいました。そこには、顔はかわいい、勉強はできる、性格も悪くない、しかも家はお金持ちという、こんな恵まれた人が世の中にいるんだ!という人が大勢いました。その一方で、通学途中にある競輪場周辺などでは、昼間から塩をなめながらお酒を飲んでいるような人たちもいるわけです。それを見て「なんで人生ってこうなんだろう?」と思ったときに結び付いたのが、小学生の時に興味を持って読んだ占いの本でした。
こういう目の人はこうなるんだ、目線をこう逸らすんだ……というように、本の中に出てきた実例が目の前にいっぱいあるのです。占いというよりも、周囲を観察していた少女時代が始まりでした。
――将来は「占い師になりたい」「起業したい」と考えていたのですか?
織路さん 社会人になるまでは、本を読んでの独学だけ。占いができるということを、周囲にオープンにすることもありませんでした。しかし入社後、最初は営業職だったので、占いはお客さんとの話題にもなるし面白がってもらえるんです。そんな中で、占いは前に進むきっかけになったり、人を幸せにしたりすることができるんだということがわかって楽しくなり、ますます勉強するようになりましたが、会社員を辞めるつもりは全くありませんでした。
重なった出来事が起業へ向かわせた
風水の仕掛けが888箇所もあるカフェの中では開運占いができる
織路さん 年齢的にも立場的にも調整役のような役割が多くなり、私は何の役にたっているんだろうと思い始めたとき、異動前の工場が閉鎖することになりました。そのとき丁度、長期計画を立てる仕事をしていたので、今後の日本を考えると定年後も働ける何かがあった方がいいと思い始めたところでしたから、起業のプランを考えたんです。
当初は全員は残れないといわれていたので周囲の人たちに一緒に仕事をしようと持ちかけたのですが、みんな大企業病なのか安定志向で「泥船かもしれない……」「軌道に乗ったら声をかけて」というばかり。だったら自分だけでやるしかない!と思ったんです。
――開業までには、どのような準備をしたのですか?
織路さん 2013年3月に会社を辞めると決心し、9月末に退職。10月には会社を興し、2014年2月に「はこにわプレート」をオープンしました。時が来たという感じで一気に進んだので、何の準備もありません。もちろん飲食業の経験もありませんし、強みは営業時代を含めて食べ歩きをよくしていたので、客目線で見られるということだけ。中華街と川を挟んだ元町に店を出したいと思ったのですが、ここは新規の店が参入しにくいシステムが多くなかなか貸してもらえませんでした。まもなく1年ですが、カフェの収入だけでは全く収支が合わない状況。でも、占いという強みがあるから続けられています。
婚活パーティや異業種交流会といったイベント、開運スクールなど、さまざまな仕掛けをすることで、ビジネスを軌道に乗せようと種をまいた2014年。リピーターが増えているというだけに、今後は開運予報士としてだけでなく起業家としての手腕にも注目です。
★次は、織路さんに占いを人生に活かす方法をおうかがいします
オールアバウト手相ガイドの織路さん
手相、タロット、四柱推命、風水など「12の占い」に精通。相談内容に応じて使い分けて未来を予測することで、前向きになるアドバイスをしてくれる。『占い師』ではなく『開運予報士』を名乗り、新しいジャンルの占いを提唱。横浜・元町で「開運カフェ&ダイニング はこにわプレート」を経営している。
取材・文/鈴木弥生