小説の限界に挑戦!?
巻頭が「私のいない高校」なんて。「群像」は攻めてます。講談社刊。
『こちらあみ子』を、新しく始める書評連載の第1回で取り上げた。太宰治賞の下読みで、今村夏子さんの原稿にあたった人は興奮しただろうなぁと、届いたばかりの某賞応募原稿入りの段ボール箱を見て思う。
新人賞の下読みや、文芸誌の仕事などで、単行本化されていない小説を読むことも多い。最近、衝撃を受けたのが青木淳悟「私のいない学校」(「群像」2月号掲載)。ある高校教師の留学生受け入れ日誌をもとネタにした小説だ。
「担任」という人称で、傍から見ればどうでもいいことを詳細に記述する。気取っているのに、脱臼したような文章。〈盲腸いたい〉〈もう超痛い〉みたいな、寒い冗談が妙にはまる。内容は大真面目なのに、スカートの長さや、ピアスの穴の検査などについて執拗に描写しているところからは隠微な雰囲気が漂う。
表出の仕方はずいぶん違うけど、都築響一の『夜露死苦現代詩』を連想した。小説として意図されていない文章を、小説にする。その限界に挑戦している感じ。アイスコーヒーを注文するとき、“欧陽菲菲”といって通じるか、みたいな。
一言で感想というと、
オー、ストレンジ? ムフー!