以前こんな話が身近にありました。家の前で、見ず知らすの性質の悪そうなおっさんが、泥酔して寝てた時の会話。
A:「放っておいたらええ。」
B:「いや、それは、知ってて、放置すると罪になる。」
A:「他人だから(罪に)ならん。」
B:「死んでも構わないと思って無視した場合は罪になる。」
何気なくあっても不思議ではない(?)会話ですよね。さて実際はどうなのでしょう。
本当に関わり合いたくなかったなら・・・もしも、あなたが「死んでもしまってもかまわない」と思い、立ち去ったとしましょう。そして、本当に死んでしまったら、あなたは罪に問われるのでしょうか?どう思いますか?
答えは、「罪はない」なのです。
行為を行うことを“作為(さくい)”といい、逆に行為を行わないことを“不作為(ふさくい)”といいます。行為をしなければならないことを“作為義務”といいます。作為義務は、法律上の義務です。
ある結果の発生を防止すべき作為義務(法的義務)が存在しなければ、ある行為をしなくても犯罪は成立しません。つまり、あなたに救護する義務がない限り、犯罪は成立しません。法的義務もないから罪に問われないのも当然なのです。
よって、先の例だとあなたには救護する義務がないので、罪責には問われないのです。例え、道徳上非難されても、心の中で「死んでしまってもいい」と思っていたとしても・・・
ちょっとした刑法雑学話ですが、意外に知らず、あのような会話になりがちなんですね。
では実際にどのような場合に作為義務があるのか次のページで判例を交えながらご紹介します。