どの展覧会を取り上げるかは執筆者自身が選定しているので、作家や展覧会に対する深い思い入れが感じられ、長くその作家に関わっていなければ感じとれないようなことや、制作の意図の深いところもよく書き表されていて、貴重な記録になっています。
また美術評論にありがちな難解な言葉の多用は思ったより少なく、むしろ洒脱な言い回しを工夫して使い、読み物的な要素を色濃く持たせた文章が多いように思います。
と言っても、読者にとっては観たこともない展覧会についての極めて個人的な意見ですから、一気に読み進めるにはすこしハードな内容であるのも確かです。
比較的親しみやすいのはピックアップ展評のコーナーで、今号では「雪舟展」の評論を数人の執筆者が寄せています。多くの人が観た話題の展覧会の評論なので、読者にとっては受け入れやすく、執筆者にとっても評論の競合になるわけですから刺激になるに違いありません。
また、「地方という中心の作家たち」のシリーズでは、あまり知られていない作家を紹介しています。今号は砂澤ビッキで、比較的知名度は高いのですが、前号や前々号などは知る人もいないのではないかと思われるほどの作家でした。有名無名にこだわらないと言うよりも、むしろ無名な人にスポットを当てるというのもこの雑誌の特長のように思えます。
美術評論というものは、毛嫌いされる要素を多分に持ち合わせています。他人が創作したものをハタからトヤカク言っているわけですから、それはそれでもっともな理由はあります。しかし美術評論をそんなに遠ざけることも堅く考えることもないでしょう。同時代に生きた美術家に興味を持ち、自然に熟成していった時間のなかで生まれた言葉を蓄積しているわけですから、極めて日常的で自然発生した記録なのです。
思えば、後世に残る美術品というものは、いつどこで出来るかわからないミズモノです。ある夜突然生まれる場合もあれば、その美術家の一生のうちでは出来ないこともあります。どちらにしても、作品の誕生(誕生しない)の目撃者として、個人的な記憶でも言葉に残しておけば、思いもよらぬ重要な資料になる可能性があります。ひとつの言葉が作品の真意を図るうえで大切なキーワードになるかもしれないのです。
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