「とにかく、みんなそこに行って楽しい時を過ごしたくて仕方なかった」とファッション・デザイナーのポール・スミス氏は語っている。 このハシエンダでは、音楽の主役はバンドやアーティストではなく、DJと客たちが生み出す特別な磁場にあった。後のレイブ・カルチャーに通じるようなムーブメントが形成されてゆく。 当時の極東の島国では、ハシエンダの情報も断片的にしか入ってこなかった。バブル全盛期、クラブではなく金ピカのディスコが流行っていた時代には、当時不況のどん底にあったイギリスの若者たちが生み出している文化に目を向ける者は少なかった。 個人的には、当時のバブルの文化に違和感を感じていたので、ハシエンダで起こっている事には興味があった。空間プロデューサーや仕掛人たちが不動産屋と組んで、最先端を狙って作られた場所より、ハシエンダは若者たちが自分たちの作っているムーブメントで盛り上がっているような気がしたからだ。
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