日本代表・Jリーグ/サッカー五輪 最新コラム

Road to アテネ 日本サッカーオリンピックの歴史(3ページ目)

最終予選出場を決めたU-22日本代表。1936年のベルリンオリンピック初出場から2000年のシドニーまで、日本代表のオリンピックでの歴史を振り返る。

執筆者:小野寺 俊明

メキシコオリンピック銅メダル!


1968年のメキシコオリンピックは日本サッカーが、世界を驚かした3度目の出来事となった。エースストライカー釜本選手を擁し、銅メダルを獲得したのだった。予選で最大の関門・韓国と引き分け、得失点差で出場権を獲得した。

日本が入った1次リーグB組は、スペイン、ブラジル、ナイジェリアと同居した。銅メダルへの道は奇しくも4年前のアルゼンチン戦と同じ10月14日のナイジェリア戦からスタートしたのだった。この試合を釜本選手のハットトリックで3-1と勝利し、ブラジルと1-1で引き分け、さらにスペインとも0-0で引き分け、B組2位で決勝トーナメントに進出した。

準々決勝の対戦相手はフランス。これを3-1と勝ち、ベスト4に進出したが準決勝で金メダルのハンガリーに敗退し、3位決定戦に回った。銅メダルかけた戦いは10月24日。相手は地元メキシコ、会場はアステカスタジアム。試合は2-0と日本が勝ち、アジア勢最初で最後のメダルを獲得した。



日本サッカー低迷期へ


1972年のミュンヘンオリンピック予選はマレーシアに敗れ敗退。そこから日本サッカーは冬の時代に突入する。76年モントリオールオリンピック予選は、イスラエルに出場権を奪われる。80年のモスクワオリンピックもマレーシアがアジア代表を獲得した。

さらに84年ロサンゼルスオリンピック、88年ソウルオリンピックとも敗れる。そして92年のバルセロナから、オリンピックでのサッカーは23歳以下の大会となる。それでも日本は出場する事が出来なかった。再び、日本がオリンピックに出場するのは、96年アトランタオリンピックまで28年を待たねばならなかった。



28年ぶり出場と「マイアミの奇跡」


93年、Jリーグの開幕と「ドーハの悲劇」を経験した日本は、着実に強化されていた。そして前園・城・川口選手らを主力として28年ぶりに出場権を獲得した。1996年7月21日、オリンピック1次リーグの緒戦、場所はマイアミ・オレンジボールスタジアムで奇跡は起こった。優勝候補ブラジルを1-0で破る大金星。この後ナイジェリアに敗れ、ハンガリーに勝ち、2勝1敗としたものの得失点差で、残念ながら決勝トーナメント進出はならなかったが、日本サッカー史の1ページを飾る出来事となった。

■アトランタオリンピック

  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます