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Road to アテネ 日本サッカーオリンピックの歴史(2ページ目)

最終予選出場を決めたU-22日本代表。1936年のベルリンオリンピック初出場から2000年のシドニーまで、日本代表のオリンピックでの歴史を振り返る。

執筆者:小野寺 俊明

国際舞台への復帰、韓国との死闘


戦後、FIFAの資格停止が解けたのは1950年のこと。オリンピックに2度目の出場を果たすのは、ベルリンから20年後の1956年メルボルン大会となった。世界で28カ国のエントリーがあり、開催国など4カ国をシードし、残り24チームから勝った12チームを出場とした。日本の対戦相手は韓国に決まった。当時の事情から日本チームが韓国に入国する事はできず、ホーム&アウェイの2戦とも日本での開催となる。

第1戦は日本が2-0で勝利、これは対韓国戦初勝利でもある。そして第2戦は逆に0-2で韓国が勝ち、延長戦に突入したが結局決着がつかなかった。当時はPK戦がなく、抽選が行われ、「VICTORY」のくじを引いたのは日本だった。オリンピック1回戦の相手は開催国オーストラリア。0-2で敗れ、20年ぶりのオリンピックでの勝利はならなかった。



アルゼンチンを撃破、東京五輪ベスト8


続く1960年のローマオリンピックは、予選1回戦で韓国に敗れ出場できなかった。ローマの次は東京オリンピックである。そして日本は運命の人と出会う事になる。デットマール・クラマー氏。それは1960年の欧州遠征でのことだった。クラマーコーチを迎え、日本は1960年代世界に確かな一歩を示したのだった。

開催国として出場した東京オリンピックでは、1次グループではD組でイタリア、アルゼンチン、ガーナと同じ組になったが、イタリアが棄権したため3カ国で争われた。そして1964年10月14日、日本サッカーがベルリン以来、2度目の世界を脅かせる偉業を成し遂げる。現在、日本サッカー協会キャプテンの川淵選手が2得点を決め、アルゼンチンを撃破したのだ。ガーナには敗れたものの準々決勝に進出し、ベスト8に入る事になった。準々決勝はチェコスロバキアに0-4と敗退した。

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