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Road to アテネ 日本サッカーオリンピックの歴史(4ページ目)

最終予選出場を決めたU-22日本代表。1936年のベルリンオリンピック初出場から2000年のシドニーまで、日本代表のオリンピックでの歴史を振り返る。

執筆者:小野寺 俊明

トルシエ監督と黄金世代


2000年のシドニーオリンピックにも日本は連続出場を果たす。1次予選、最終予選併せて、14戦全勝でアジアを駆け抜けた。トルシエ監督が兼務したこのU-23日本代表は「黄金世代」と呼ばれ、2002年のワールドカップにも松田・中田浩・宮本・明神・稲本・中田英・柳沢の7選手が出場している(小野選手は予選でケガ、その後調子を崩しメンバーに選ばれなかった)。さらにワールドカップ出場はならなかったが、中村・本山・高原選手もいた。

オリンピックでは1次リーグD組でブラジル、スロバキア、南アフリカと戦った。緒戦の南アフリカ戦では高原選手の2得点で2-1と勝利。スロバキア戦は中田・稲本選手がそれぞれ1点をあげ、2-1と2連勝。ブラジル戦は0-1と破れたものの、D組2位で決勝トーナメント進出を決定した。

準々決勝の相手はC組1位のアメリカ。前半、柳沢選手のゴールで先制、後半に一旦追いつかれたものの高原選手のゴール突き放した。しかし、終了直前にPKを決められ延長戦に突入してしまう。延長でも決着がつかずPK戦へ、結局中田選手が外し、4-5で敗れた。

■シドニーオリンピック



そして2004年アテネへ


当初、今年の秋に行われる予定だった最終予選はSARSの影響で3月に延期が決定。最終予選に進出した12チームが、3つのグループ(各4チーム)に別れて戦い、1位の3チームがアテネオリンピックへ出場できる。現在、検討されている開催方法は下記の通り。

・セントラル方式 開催時期:2004年3月3~15日
1ヶ所集中開催(多くの場合中立国での開催)し、リーグ戦全試合を行う。

・ダブルセントラル方式 開催時期:2004年3月1~7日&14~20日
2ヶ所で開催し、それぞれでリーグ戦を実施する。

・ホーム&アウェイ方式 開催時期:3月17日~5月12日
通常通り、それぞれの国でホームとアウェイを行う。


最終予選は来年の春まで待たねばならないが、それまで彼らの成長する機会が増えたとポジティブに考えることにしよう。


<参考文献・HP>

■日本サッカー史 代表篇 出版社:双葉社 著者:後藤健生氏
(From Backstand内)
■日本オリンピック代表の記録
■office2002 HISTORY OF JAPAN SOCCER
■賀川サッカーライブラリー (FC JAPAN内)


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