クリニックは静岡駅から徒歩4分のとても交通の便の良いところにあり、まるでホテルのようなシックな外観が目を惹きます。
今回は移転後のご多忙の時間にも関わらず、院長から詳しくお話頂きました。それではインタビュー内容をお送り致します。
院長の俵史子先生です!
いつも最初に伺うのですが、俵先生が医師になった理由を教えてください
出身は徳島県なのですが、田舎育ちで地域の人たちに尊敬される医師の姿を見たことがきっかけです。身近に尊敬できる先生がいたということが理由ですね。徳島県は不妊が盛んなところですよね。俵先生は浜松医科大学のご出身ということですが、徳島県からなぜ選ばれたのでしょうか?
両親の教育方針が地方から外に出なさいということだったので、たまたま落ち着いたところが浜松でした。産婦人科医や不妊治療を選ばれた理由を教えてください
迷いはなくて、一通り勉強したなかで産婦人科の学問的な魅力と実習をしてみて「産まれる」という喜びがある科なので、進みたいと思いました。それから、今は違うと思いますが、昔は男性医師が働きやすい環境にあったので、女性という部分を最大に発揮できるのがやはり産婦人科ではないかと思っていました。今は男性と女性の学生の割合が半分くらいのようですが、昔は女性比率が2割くらいでしたから。
不妊治療を選ばれたのは、やはり喜びがあるからでしょうか?
最初は周産期に興味がある先生が多いと思いますが、その中で一通り腫瘍—周産期と勉強したなかで、生殖医療という内分泌系の分野がすごく興味深かったというか、とても楽しかったですね。たまたま不妊のいろはを教えてくださった先生がいたので、その先生について勉強して、そのすごく引き込まれていったということですね。最初から不妊をというわけではなく、一通り勉強して、産婦人科の専門医も取得したあとに不妊治療に進んだということです。
先生は不妊治療をされている先生の中ではお若いと思いますが、不妊治療をしていく原動力となるものを教えてください
平成19年に開院しまして、もうすぐ44歳になりますが、開院したときは36歳でした。その前に不妊治療のクリニックで医院長を任されていたことが3~4年あるので、30歳くらいから不妊治療にどっぷり浸かっていたので、経験年数から考えるとそんなに短くないと思います。クリニックの外観(日中)です。
卒業大学の教授は外の病院にいても、開業していても、研究に対する姿勢や意志をもっていれば、大学院や留学と同じ活動ができるということを言っていただいていたので、自分の思ったところに進んだということですね。
よって、医院長をしていた時も開業してからも、学会発表だとか、研究ということは義務としてやっていくべきだと考えていますし、これからもその部分に力を入れないといけないと思っています。
今回、移転された目的を教えてください
開院して間もない頃から移転をしようとは考えていました。それは前回の場所が駐車場はありますが、駅からも遠く、古い建物のテナントに入っていたので、広さの制限もありました。何年か経って患者さんやスタッフの数が増えてくると、狭さが気になりました。開院して6~7年経つと多くの機器も老朽化してきますし、あとは新しいシステムとか機器も出てくるので、新しいものに入れ替えたいということも時期的にありました。
入口です。
一番はこれからも積極的に診療を行うことができる場所、それから患者さんの利便性を考えて、条件に合う場所さえ見つかれば、いつでも移転しようという気持ちでした。
今回の移転先は駐車場も広くて、JRの駅にも近いので、利便性は上がっていると思います。前回の場所は歩いて20分かかるところにありました。やっぱり患者さんは忙しい中でいらっしゃるので近い方がいいです。
移転をされてもっと患者さんが増えそうな雰囲気ですが、先生としてはどのようにお考えですか?
受付の様子です。
最初に職員の体制を整えてから移転をしようと思っていました。計画通りに職員を充実させ、充分な教育をした後に移転する事が出来ました。移転したことで患者さんと職員のスペースが増えるというところもあるし、培養室とか新しくできたので、それらがいい成績に結びつけばと思っております。
現在、培養士は何名いらっしゃいますか?
現在9名です。静岡県は大都市と違い、募集しても経験者が来るという少ないので、基本みなさん新卒でゼロからのスタートです。一通りできるようになるまでに数年かかる場合もあります。スタッフの確保、そこが開業して苦労したことです。経験のある培養士さんが確保できないというのが大変なのです。
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