新国立競技場とカジノ計画に共通する問題点(イラストはVectorOpenStock作成)
建築家の有志やスポーツ関係者らが盛んに指摘したことで新国立にまつわる問題は明るみに出たが、気になるのは、同じく政府が進めているカジノ計画にも同種の問題点があることだ。
五輪は土木建築の技術をアピールする場ではない
今回の新国立競技場の「失態」が起きた最大の原因は、推進者がその目的を完全にはき違えていたことである。文部科学省をはじめとした推進者は「日本の技術をアピールする場」と主張していたが、「五輪とはスポーツの技術を競う場」であり、土木建築の技術を競う場ではない。
新たに建設推進のリーダーとなった遠藤利明五輪担当大臣の言葉にもその自覚は感じられない。遠藤大臣は会見で、新国立の見直しの方向性について、生体認証や不穏な人物の追跡機能という周辺機能の充実を主張するなど、依然として「選手にとってベストな競技場」という最も重要な要素が一番手に上らない。
むろん安全性確保は重要だが、メインスタジアム一つだけ極端に強化してもほとんど意味はない。
「世界一コンパクト」だったのは「お役人の責任感」
2013年のプレゼンテーションでは「世界一コンパクトな五輪」をアピールして招致に成功したが、このままでは「世界一コンパクトなのは日本のお役人の責任感」などと皮肉を言われかねない。安倍総理は白紙撤回を決断したが、撤回すべきは競技場の設計だけでなく推進メンバーそのものではなかろうか。
こうした計画を無自覚に進めてきたメンバーが、誰も責任を取らず、原因究明も行われないまま引き続き担当すれば、同じことが繰り返される可能性がぬぐい切れず、不幸にして再び計画に問題が生じた場合、五輪に間に合わせることさえ絶望的となりかねないからだ。
抜け落ちた「陸上競技場という本質」
推進チームが出していた競技場のスペック(機能、要素)には、はじめから複数の欠陥があった。元五輪メダリストの為末大さんが再三指摘し、スポーツ施設建築に詳しい多くの建築家が問題点として挙げていた、サブトラックがないことなどはその代表だ。どんなに競技場が立派でも、ウォーミングアップなどに使用するサブトラックがなければ陸上競技会は開けないからだ。
もう一つが、陸上競技にもサッカーにも使用するという併用を最初から前提としている点だ。
サッカー場と陸上競技場は機能が違う。陸上競技場はスタンドに近いところにトラックがあり、芝生は競技場の中央に位置する。よって陸上競技場でサッカーをした場合、選手とスタンドとの距離が遠く、臨場感や一体感が失われてしまうのだ。
異なる利害がメリットをつぶし合う最悪の展開
さらに象徴的な間違いは、五輪後のコンサート使用などを理由に競技場全体を覆う屋根が付けられることが前提とされた点だ。天井で日光が遮られると天然芝を育成できない。二次利用のために本来の目的であるスポーツに不適当となっては、一体何のための競技場を作るのかということになる。
こうして、スポーツをする当事者ではなく、様々な利害関係者がそれぞれに希望する要素を盛り込んだ結果、一方の要求が他方の利便性を打ち消しあう結果となり、「帯に短し襷(たすき)に長し」という、どちらにとっても中途半端で使えない代物となってしまったというわけだ。
国家プロジェクト特有の問題点
こうした問題は、国家プロジェクトのように、あまりの多くの利害関係者が俺も私もと加わることで生じる典型的な弊害だが、実はいま政府が進めている「カジノ計画」にも同様の恐れがある。ちょっと話は飛ぶが同じ弊害のメカニズムなので触れておきたい。これまでにも私が何度か指摘していることだが、現在の計画では、ギャンブル依存症を防ぐためとして日本人がカジノに1回入場するごとに「1万円(想定)の入場料」を課すとしている点だ。
もし日本の都市部にIR(カジノを中心とした統合型リゾート)が出来た場合、地方からやってきてリゾート宿泊費を何万円も払っているお客さんが、カジノに入るために毎回1万円も取られるとしたら、いったいどう思うだろうか?
しかも入場時に法外なお金を取られたら、その分を取り返そうとしてかえってギャンブルにハマる危険性が高まることはカジノ経験者であれば知っているはずだ。
現場経験者の不在と当事者意識の欠如
またカジノ合法化には本来もう一つの理由があった。それは違法カジノの排除である。違法カジノは都内だけでも数百軒存在し、闇社会の資金源となっている。イギリス、アメリカなど他国の例を見ても、これを排除するには合法カジノを作るしかない。だが、合法カジノが入場料1万円もぼったくったのでは客は引き続き違法カジノに行ってしまうし、そもそもギャンブル依存症を防ぐどころではなくなってしまう。
新国立では「スポーツをする場所」という本質がすっぽりと抜け落ち、カジノ計画における入場料1万円は「違法カジノの排除」という目的に逆行している。
いずれも、推進チームに厳しい現場を体験してきた経験者が不在で、当事者意識が薄いまま進められているからであろう。