羽生選手 中国杯フリー強行出場の教訓を生かす
幸い大事には至らなかったものの、怪我をした場合の出場可否について、選手個人の「責任感」や「勇気」という感情論で語られることほど危険なことはない。それを防ぐためのルールと仕組み作りが急がれる。
賞賛の声の裏に
アクシデントの詳しい内容については、すでに数多く報じられているのでここでは繰り返さないが、彼が強行出場したことの是非について、いまだ誰も結論を出せずにいる点は、今後に重要な示唆を与えるものだ。今回の彼の行動について、世の中では「責任感」や「勇気」といった感情面で賞賛する声がある一方、強行出場したことでもしも怪我を悪化させ、選手生命に影響したら誰が責任を取るのかという声も多い。
選手の判断に委ねられている現状
報道によれば、出場は羽生選手自らが決めたという。しかし、だからといって、今後もしも彼に、強行出場による悪影響が生じた場合、彼自身の責任であるとは全く言えない。なぜなら、アクシデントがあった際、出場するかどうかを判断する公平な仕組みやルールがないからだ。
様々な人のサポートを受けて競技を行う選手にとって、アクシデントに見舞われても出場したいという思いは理解できるものだ。しかしその責任感が高じた場合、選手生命に関わる場合も生まれかねない。
田中将大投手「世紀の連投」
2013年、日本のスポーツ界でこれと似た出来事があった。覚えている方も多いのではなかろうか、2013年のプロ野球日本シリーズ第7戦で、楽天ゴールデンイーグルスのエース、マー君こと田中将大投手が、前日の第6戦で160球を投げたばかりであるにもかかわらず、リリーフ投手として登板し、15球を投げた件だ。結果は彼のリリーフによって楽天が勝ち、日本一の立役者となった。
野球はチームスポーツであり、時として自己犠牲が図られる場面があるが、それはあくまで自分が犠牲フライを打ってランナーを返すとか、自分はバントでアウトになってもランナーを進めるなど、「プレー上での犠牲」を意味するものであり、怪我や選手生命を脅かしてまでチームに貢献しろという意味ではない。