死なせてはならない人を死に追いやった日本社会の過ち
彼の死は、単なる一人の人間の死として扱ってよいものではない。なぜならそれは自殺という形を取りながらも、実際は、死なせてはならない人を日本社会が死に追いやったに等しい死だったからだ。
しかし彼の死後もその点が全く俎上に上がらない。その異常さを考えてみる。
「偽iPS手術騒動」森口尚史氏との対比
笹井氏に起きていた問題とは、小保方晴子ユニットリーダーによるSTAP論文の不正を見抜けなかったという「落ち度」である。これと対比できるのが2012年に森口尚史氏(元東京大学医学部附属病院特任研究員)が起こしたiPS細胞に関する虚偽発言騒動だ。森口氏はiPS細胞を用いた世界初の移植手術を行ったと嘘の発言をし、医学・科学界を混乱に陥れ、森口氏は最終的に虚偽発言を認めた。
森口氏が意図的な虚偽発言により世界を騙したこととは異なり、笹井氏の場合は、再生医療における画期的な成果を出そうと取り組む中で、論文不正の見落としが起きた監督責任問題と言える。
つまり二つの「問題の本質」はあまりに異なっている。それは「落ち度」と「悪意」という埋めようのない大変な違いだ。
ところが報道において両者はともにスキャンダルの対象として同列に括られた。
責任感ある者に厳しい非難が向けられる理不尽
その後の行動を比較しても、両者の間にはあまりに大きな違いがある。森口氏の場合、騒動により名が売れたのを利し、まるでタレントのごとく活動するなど、(本人の心はわからないが)行動を見る限りでは反省している様子を伺うのは難しい。
一方、笹井氏は対照的だ。笹井氏は日常生活が困難なほどにプライベートを奪われ、社会的な自由も失うなど追い詰められ、ついに自ら命を絶つに至った。
度を超した断罪
もしもこの違いを、笹井氏の精神的な弱さの問題ととらえるような考え方があるとしたら、それは明らかな間違いだ。なぜなら、問題を真剣に考えるあまり、耐えかねるほどの苦悩を背負い、最終的に命を絶ってしまうような精神構造とは、裏を返せば、物事をいい加減に放置せず、正しさを厳格に追究しようとする、優秀な科学者として最も重要な素養そのものでもあるからだ。
笹井氏が日本はもとより世界の再生医療を牽引してきた立役者であり、その分野の未来を切り拓いてきたリーダーであったことを否定する関係者は誰もいない。
それらは笹井氏の強い責任感によってもたらされたものであるが、そんな彼が、STAP論文の不正発覚後、あたかも詐欺師であるかのような報じられ方をした。