演歌・歌謡曲/大衆演劇

花形!橘裕太郎インタビュー

大衆演劇の人気劇団『橘劇団』の花形をつとめる橘裕太郎にインタビュー。野球にすべてを捧げた少年時代、淡い恋、挫折……役者の家に生まれたわけではない彼がどのように橘劇団の門をたたき、花形にまで上りつめたのか。壮大な笑いと感動のストーリー。

中将 タカノリ

執筆者:中将 タカノリ

演歌・歌謡曲ガイド

大衆演劇の人気劇団『橘劇団』の花形をつとめる橘裕太郎にインタビューをおこなった。
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橘劇団の花形として活躍する橘裕太郎


野球にすべてを捧げた少年時代、淡い恋、挫折……役者の家に生まれたわけではない彼がどのように橘劇団の門をたたき、花形にまで上りつめたのか。

壮大な笑いと感動のストーリー。

大衆演劇とは無縁 野球に明け暮れた少年時代

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ガイド・中将タカノリと橘裕太郎


ガイド:ご両親は直接お芝居に関係ある人じゃなかったんですね?


橘裕太郎:はい、まったく関係ないです。お祖父さんが初代『橘菊太郎』の兄弟だったんですけど、そんなことは話題にもしなかったし早くに亡くなったので……。

ガイド:お芝居始めるまではどんな生活を過ごしていたんですか?

裕太郎:福岡出身なんですけど、小学校から15歳まではプロを目指して野球に明け暮れてました。今、楽天でピッチャーやってる辛島航(からしま わたる)が同期だったり、けっこう強いクラブチームに居たんです。中2の時には野球の推薦で高校が決まってたので、10代はほとんど勉強しませんでした(笑)

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今でも親友だという辛島選手の写真を持ってニッコリ


失恋 挫折

ガイド:高校に入学してからも野球中心の生活は続いたんですか?

裕太郎:ぶっちゃけた話……ぜんぜん続かなかったんです。中学校の卒業前に“福岡市内で一番かわいい”って言われてた女の子と付き合うことになったんですよ。

体育祭でめっちゃはりきってアピールしたら向こうから告ってくれて(笑)で、普通なら中学校卒業してから高校入学までの春休みにたっぷり時間あるはずだったのに、野球の特待生だから「入学前から毎日練習に来い」ということで会うことすらできなくて……結局別れることになったんですね。

ガイド:それで野球にやる気が無くなった?

裕太郎:また同時期に、僕が部室で悪いこと(※下ネタではありません)してたのが見つかって問題起こしてしまったんですよ。謝り倒したんですけど、コーチは「練習しなくていいから一週間学校を掃除し続けろ」と連帯責任で同級生も先輩も全員巻き込んでしまって……。しかも僕だけは一週間過ぎたあとも延々と掃除に草むしり。野球の腕には自信あったから、変に逆切れして「もうやってられるか!」とやる気無くなっちゃったんですね。

大衆演劇との出会い

ガイド:あらら……青春ですね。そこからお芝居の世界へはどうやってつながって行くんですか?

裕太郎:たまたまその時期にお姉ちゃんの結婚式があったんですよ。そしたら親戚ということで橘劇団のみんなも来ていて、流れでお芝居を観に行くことになったんですね。別府の杉乃井パレスに。

ガイド:それを観て感動して入団という流れですか?

裕太郎:いや、全然。『竹とんぼ』という曲で三代目(現座長・橘大五郎)が竹とんぼ飛ばしながら踊ってたんですけど「なんだこれ?なんでこいつ竹とんぼ飛ばしようとや」ぐらいの感想で(笑)。正直、まったく興味なかったんですよ。でも、そのお芝居から帰るときに総座長(橘菊太郎)から「学校嫌になったら劇団来いよ!」って1万円くれたんです。高校入っても小遣い月2千円やった僕にとったら大金ですよ。
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曲にあわせて竹とんぼを飛ばす大五郎。ファンにとっては定番だが、15歳の若者にとってはギャグに見えても仕方ない


決断 リュック一つで劇場へ

ガイド:それで俄然、興味がわいてきたと(笑)

裕太郎:帰りの車の中でめちゃくちゃ考えたんですよ。クソガキなりに。
「もう野球楽しくないしなぁ……よし!劇団行こう」と(笑)。
それで次の日、普段やったらリュックサックの中に練習着とグローブ入れるところを財布と下着と洋服入れて、朝練行くふりしてそのまま電車で別府に行きました。
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ガイド:すごい決断力ですね!でも朝練に参加しなかったらすぐにバレちゃうんじゃないですか?

裕太郎:すぐバレるのわかってたから携帯の電源切ってたんです。別府に着いて電源入れたら親や友達からの電話で着信履歴が埋まってましたよ。事件とかで行方不明になってると思われたみたいなんですね(笑)。

でもそれはあえて無視して杉乃井パレスの劇場の楽屋行って北條先生(北條寿美子。橘劇団創始者で初代・橘菊太郎の妻)……当時は寿美子おばちゃんって呼んでましたけど、「昨日、総座長に言われたから劇団入りにきました!」って話したんです。

ガイド:北條さんもびっくりされたでしょうね。

裕太郎:「あんたどうしたの!?学校は?」って。そしてそこではじめて親に電話して「劇団に入るから。福岡にはもう帰らない。」って伝えたんですね。

ガイド:どんな反応でしたか?

裕太郎:もうパニックで、お父さん、お母さんはもちろん友達やその親まで電車に乗って別府に来ましたよ。20人くらいかな? 初めはひたすら怒って連れ戻そうとしてたんだけど、総座長は「他人のところに行くんじゃない。親戚やしええんじゃないか。」って話してくれて最終的に親が折れたんですね。「一生懸命働け。野球から逃げたように芝居から逃げたら許さん。」と。

ガイド:言葉は厳しいけど、ちゃんと子供の意思を認めてくれる寛容なご両親だったんですね。その後、裕太郎さんは劇団の花形と認められるほどお芝居の道で頑張ってこられたわけですが、ご両親との関係はいかがですか?

裕太郎:今はいい感じですよ。お芝居も観に来てくれますし。19歳の時だったか、4年ぶりにサプライズで実家に帰ったら壁とかにずらっと僕の写真が並べられてるんですね。それを見て初めて、親が自分のことを考えていてくれてたことがわかって本当に感動しました。

大衆演劇ことはじめ

ガイド:劇団に入ってから舞台に上がるようになるまではどんな過程があったんですか?

裕太郎:しばらくは何もしませんでした。三代目から「お前、ゲームやっとけ」って言われてひたすらプレイステーションやってました。それまで野球の朝練で毎朝5時に起きてたのが、劇団やと9時とか10時まで眠れるんで優雅な気分ですよ(笑)

ガイド:本当に続くのか様子を見られてたってことなんですかね?

裕太郎:個人的には辞める気なんかさらさらなかったんですけどね。普通、外部から劇団に入ろうとする人って、元から踊りとかお芝居が好きでそれなりに前知識があってやってくるんですよね。でも俺の場合は動機もテキトーだし、なんにもわからない状態で入ったので「少しづつ慣らしていこう」みたいな感じだったのかも知れません。

ガイド:練習はいつから始まったんですか?

裕太郎:10日ほどしてから"観る"練習が始まったんですよ。舞台のすそから正座してお芝居や踊りを観続けるんですけど、興味ないからこれがまた辛くて。
そうして雰囲気を勉強しながら、悪党の子分で棒持って立ってるだけの役とか簡単なことからぶっつけ本番でやらされていきました。

ガイド:裕太郎さんにとってお芝居が面白くなってきたのはいつ頃ですか?

裕太郎:自分でちゃんとした役をするようになってからですね。3年目くらいかな?昼も夜も同じ演目する機会にいきなり総座長から「お前、この芝居は何回も観てるやろ。昼に大五郎がやった役、夜はお前やから」って言われたんです。全然出来る気がせんかったけど「無理やったら一生するな。とにかくやれ!」っていうことで準主役みたいな役をもらったんです。

ガイド:準主役だと台詞も多いし急には覚えきれませんよね。

裕太郎:はい、結果はボロボロでした。落ち込みましたけど、でも自分が役者だという意識が持てるようになったのはそこからですね。よく先輩が「役者の仕事は終わりが無い。正解がない。」って言うのを聞いてきたけど、少しだけ意味がわかるようになりました。

大衆演劇界の厳しい上下関係

ガイド:大衆演劇業界は独特の世界観があると思いますが、外部から入った裕太郎さんにとって世間との違いを感じることはありませんでしたか?

裕太郎:やっぱ礼儀とか上下関係が厳しいですよね。それまでの学校とか野球の上下関係とはまた違う感じでした。

僕は三代目の初めての弟子として劇団に入ったんですよ。三代目が師匠だから、たとえば今でも一緒に銭湯に行く時は三代目のことは全部自分がするんです。

シャンプーとか洗面道具、替えの下着まで全部俺が持って行って、浴場では先にシャワー出して椅子を暖めて、三代目が風呂から上がる時には俺はもう帰る支度してバスタオルを渡せるように準備しています。

ガイド:もう世間では過去のものになってしまったような上下関係がまだまだ残ってるわけですね。

裕太郎:なんにもわからない状態で入ってるから何回も怒られてきましたよ。すごく失礼な事やっていろんな人にはたかれたけど身体で教えてもらったほうが身につくし、今になれば良かったと思いますね。

花形になって変わった心がけ

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橘裕太郎は凛々しい青年役で魅力を発揮する


ガイド:2011年に花形に就任した裕太郎さんですが、自分の魅せ方とか芝居への姿勢に変化はありましたか?

裕太郎:主役を引き立てるため芝居を心がけるようになりました。周りが上手くないと芯である主役を本当に光らせることができないと思うんですね。その一方で、自分に与えられた見せ場はきっちり華やかにこなさなければならない……難しいですけど。

ガイド:花形として、他の劇団の若手たちと一緒に競演する機会があると思いますがやはり普段とは違いますか?

裕太郎:『若手大会』とかですね。10代から20代前半まで同世代の選抜されたメンバーが揃うんで、やっぱり対抗意識は生まれますね。普段、橘劇団に居る時は三代目を引き立たせるようにしてますけど、若手大会だといかに自分が光るかが大事になってくるんです。

ガイド:楽屋とかピリピリしてそうですね。

裕太郎:表面上は和気あいあいとしてるんですけどね。でもやっぱりみんな自分が目立つためにすごく意識してると思います。「こんなん誰も持ってへんやろ!どうだ!」みたいに着きれない数の着物を持ってくる人もいますしね。方向性はいろいろだけど、俺はあえて着物は3着とか最低限しか持っていかず「芸の腕で目立ったろやないか」と(笑)。

今後の目標 師匠・橘大五郎とともに

ガイド:今後の方向性についてはどのように考えておられますか?

裕太郎:お父さんがツルッパゲなんで自分もハゲたら引退……っていうのは冗談で(笑)

少し前までは「いつか三代目みたいに座長をはりたい」と思っていたんですけど、今は"座長級の花形"になりたいと思っています。いつまでも三代目についていきたいんだけど、ちゃんと世間からスターとして評価されて座長大会にも出て行けるような、そんな花形になりたいんです。

ガイド:あの梅沢富美男さんも大スターでありながら、ごく最近まで副座長としてお兄さんを支えておられましたよね。橘劇団に対する思い入れはやっぱり橘大五郎さんとの絆から生まれてくるんでしょうか?

裕太郎:そうですね。俺は三代目を尊敬してます。もっと芸暦の長い先輩がいるにも関わらずたった5年くらいで花形にしてもらった恩があるし、それを裏切ることはできないです。

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裕太郎と大五郎の息のあったかけあいは舞踊ショーの見せ場だ


ガイド:裕太郎さんにとって橘大五郎はどんな人間ですか?

裕太郎:師匠と弟子やし、やっぱり俺にとっては厳しいですよ。いまだに怒られることも多いですしね。でも何年間も一緒に居る中で俺は三代目がどんな人間かわかってるつもりなんです。いい人間……優しい人ですよ。

橘劇団ニュース

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橘劇団では次世代のホープとしてパラパラ渚ちゃん(8歳)が子役で活躍しています。応援よろしくお願いします。


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