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東京でゼッタイ見たい建物【新宿エリア・17選】(3ページ目)

東京は新旧、さまざまな意匠、雰囲気が入れ混じって、さまざまな建物や施設、エリアが混沌とした不思議な魅力が、たくさんある都市。今回は、東京のなかでも特にカオティックな雰囲気の「新宿区エリア」について、独断と偏見を交えて紹介します。

喜入 時生

執筆者:喜入 時生

インテリア・建築デザインガイド

新宿駅の東西駅前周辺

■安与ビルと新宿区役所は同じ設計者
新宿駅東口から南口方向に抜ける道を歩いているときに、東口駅ビルの右隣にいつも気になっていた建物がありました。8角形と思われる縦にルーバーが入った箱状のものが、ずれて上に伸びていく特長的な建築。戦後のモダン建築の本などでもあまり見たことがありませんでした。そこで、今回、調べてわかりました。名前は「安与ビル」、1階に銀行が入っています。
ひがし

このモダンな建物の設計は1969年。とても半世紀近く前の建物に見えません。今でもシャープさ新鮮さを放っています。

設計は明石信道(あかし・しんどう)さん(1901~1986年)という建築家。フランク・ロイド・ライトの研究家でもあり『フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル』(建築資料研究社刊。2004年)などの本の執筆などでも知られ、早稲田大学理工学部教授で後身の指導にも当たった方です。
くや

明石先生設計の歌舞伎町にある「新宿区役所」。明石さんは、北海道生まれで地元・函館のアール・デコ風の老舗デパート「棒二森屋」を設計した函館の名士的な存在。明石先生は実は新宿とも縁が深く、区役所のほかに新宿東口の映画館「新宿武蔵野館」なども設計していたのでした。


■ビックカメラ(ビックロ)と、旧・さくらや
2000年代中ごろに新宿に行ったときに「あれっ三越がない!」と驚いた記憶があります。1階に有名ブランド店が何件も路面に突き出して建ち、上階には「テナントとして」家具チェーン店や外資系ファストファッション店、オシャレカフェ、大型書店などが入り、その名も「新宿三越アルコット」という、ファッションビルになっていたのでした。

三越のクラシカルでありながらモダンで屋上もあるという三越の「百貨店らしい、たたずまい」が好きだったので、ガッカリ……。しかし、そのアルコットも2012年にわずか7年の営業で幕を閉じました。そして2013年に現れたのが「ビックロ」という新形態の店舗。「素晴らしいゴチャゴチャ感」というコピーで華々しくオープンします。
びっく

「ビックロ」外観。ファスト・ファッションと電気量販店がコラボしたというコンセプトです。


開店から、しばらくしていってみましたが、あまりビックロしませんでした。むしろ、驚いたのはその建物のファサード。「工事中の仮囲い?」と思うようなノッペリとした真っ白い壁面に、ロゴマークがあるだけ。これは建築と呼んでいいのだろうか? と思うほど「古い建築を包装紙でラッピングしたグラフィカルなオブジェ」のようです。こうなってくると建物というよりサイン・ボードだなぁ、と思ったのでした。

ですが、店内に入りエスカレーターでなく階段を使うと、ちゃんと旧・三越(1929年竣工)の大理石の腰壁に真鍮の手すりが少し残っていたので、ちょっと安心したのでした。よく見るとアンモナイトなどの化石があります。三越時代は「化石を見つけよう」といったイベントもありました。内部の床、壁、天井などをよーく探してみると、昭和初期の豪華な仕上げを少しだけ発見することができますよ。

アルタ斜め向かいのネオン電飾電飾ギラギラの電気量販店「さくらや」は2009年に閉店。ビックロと同じ雰囲気の「ビックカメラ」となり、東口の景観がすいぶん変わりました。
ひがし

現在の新宿東口。左の「スタジオアルタ(現在の正式名称は「新宿ダイビル」)」は、おなじみの「アルタビジョン」と呼ばれる映像が流れる壁面は未来的でした。今でもアルタ裏には、タモリが毎朝通った「関係者入り口」を見ることができます(竣工:1980年)。右にある「ビックカメラ」は、もと「さくらや」でした。


じょん

セックス・ピストルズを解散したジョン・ライドンが「PiL」というバンドをつくって来日したときジャケットに使った写真。新宿駅東口駅前のネオン電飾で彩られた「さくらや」の前で1983年に撮ったものですが、ブレードランナーっぽいアジア的な未来感とでもいうのでしょうか?

よどばし

「しんじゅくにしぐち、えきのまえ~」でおなじみの西口ヨドバシカメラは、いまでもネオン電飾が健在。昭和感が楽しめます。


■新宿西口広場・駐車場
現在、大型デパートが建ち並びバスロータリーもあり買い物客やビジネスマンで賑わいを見せる、新宿西口駅前は建築家・坂倉順三による都市計画です(竣工:1967年)。地下から地上に自動車が上げれる構造、排気口などをトータルにデザインした、土木と建築が融合した計画は当時画期的でした。
にしぐちろーたりー

排気ガスを出す換気塔や、らせん状に地下から自動車が上がってくるシステムは今でも斬新。地下広場は、1960年代末期、反戦フォークゲリラの拠点でもありました。


■新宿NSビル

「西口の超高層ビル群がぜんぜん出てこないじゃん」と不満に思われた方も多いでしょう。たしかに、丹下先生の都庁舎を中心に「新都心」とも呼ばれるオフィス街の西口超高層ビル群は魅力的。ですが観光地としてすでに情報量が多いことと、ボリュームの都合で、1棟だけ取り上げることにしました。それは「新宿NSビル」、個人的に好きなのです。
えぬ

NSビルの登場は1982年。周囲の超高層ビルが日本初の超高層「霞が関ビル」を踏襲した「インターナショナル・スタイル」的に作られていたのに対して、このビルはをアイデアが斬新でした!


外付けのシースルーエレベーター、巨大な吹き抜けを被うガラス屋根、吹き抜けを横断するブリッジ……。当時、すごく新しく未来的に見えたものでした。設計は大手組織系設計事務祖の日建設計。日建設計のチーフ・アーキテクトとしてもパレスサイドビルなど名作を作った林昌二さんがデザインを主導していたのでした。
ふき

でも、このビルに入って、この高~い吹き抜けを見上げるたびに、なぜか清清しい気分になるお気に入りのスペースです。


■西新宿サインリング
「ランドスケープ・アーキテクチャー(=環境設計とも景観設計とも呼ばれる)、建築と都市環境にまたがり総合的にデザインすること」は、日本では、あまり総合的に行われた例がなく批判の的になることも多いジャンルでした。この「西新宿サインリング」は、信号機、標識などのサイン、といった「ストリート・ファニチュア」と呼ばれるものを、円形のリングにまとめるといった画期的な手法で仕上げたものです。日本でのトータルなランドスケープ・デザインの成功例のひとつといってもいいでしょう。
じーけー

新宿の西側に行くときは高層ビル群の入り口にある、この「空間をランドマーク化した」傑作にも注目してください。


設計を主導したのは、キッコーマンしょうゆびんのデザインでも知られる榮久庵憲司さん率いるGKデザイン機構の社長でGK設計取締相談役だった西澤健さん(1936~2003年)です。日本における「環境デザイン」の草分け的存在として活躍して、大阪万博のストリートファニチュアをはじめ、銀座シンボルロードの整備、ベルリンの環境デザインまでも行い、数え切れないほどの賞を獲得した人です。

「西新宿の街並みって、なんか整っていて気持ちいい」と感じたことがある人は多いのではないかと思います。それはアイソメトリックという手法で描かれた立体的な地図、行き先がわかりやすい完成度の高いピクトグラム、カッコいい外灯……。そうした仕事はGKの西澤さんによるものでした。この円形の「西新宿サインリング」は、直径54メートル、高さ15メートル。西澤さん1994年の仕事です。


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