イスタンブール/イスタンブールの観光・世界遺産

カーリエ博物館/イスタンブール

末期ビザンツ芸術として名高いカーリエ博物館。小さな観光スポットながらも、そのモザイク画やフレスコ画は芸術作品としてもレベルが高い事で有名です。イスタンブール旅行の際には、ぜひお見逃しなく!

執筆者:安尾 亜紀

モザイク画とフレスコ画が見どころ、カーリエ博物館

カーリエ博物館、パラクレシオン

古い教会ながらも、内部に残るモザイクやフレスコ画はかなり保存状態がよい。ここはパラクレシオンと呼ばれる礼拝堂

イスタンブールの観光メッカ、スルタンアフメット地区からは少し離れたところにあるカーリエ博物館。とても小さな教会なので、忙しい観光スケジュールの中ではついつい後回しにされがちなスポットですが、実は末期ビザンティン美術としては最も優れた作品として名高いモザイクやフレスコ画がそろう、見どころ満載の博物館。なんとか予定をやりくりして訪れて欲しいところです。

カーリエ博物館、その大河な歴史

カーリエ博物館、内拝廊ドーム

歴史深い建物だけど、壁画の色の美しさは格別。ドームの中央にあるのは聖母子

このカーリエ博物館、その基礎となったコーラ礼拝堂は、なんと東ローマ帝国時代の5世紀に建設されたという歴史的にかなり古い建築物。城壁の外側にあったことから、「郊外」という意味を持つ古代ギリシャ語「コーラ」がその名前の由来となっています。

6世紀ごろ、ユスティニアヌス1世が地震で廃墟となっていたこの礼拝堂跡地に、より大きな修道院を建設するよう勅令を出します。ところが、建設が完了する前の557年に地震で再び崩壊。このためユスティニアヌス1世はさらに大きな修道院を建設させたのだとか。

コムネノス王朝時代には宮殿に近かったこともあり、コーラ修道院教会の宗教的重要性が高くなります。王朝の儀式などもここで行われるようになりますが、その後のイコノクラスム(聖像破壊運動)やさらなる地震で再び崩壊が進みます。

11世紀にはコムネノス王朝・アレクシオス1世の義母が教会を再建。これが、現存する教会建物の基礎とされています。さらに1120年にも建物の大部分が再建されます。

カーリエ博物館、聖母とキリスト

所々残るモザイクの細密さが素晴らしい。これは「聖母とキリスト」

ラテン帝国占領時代にも地震などの理由で荒廃が進みますが、アンドロニコス2世時代の宮廷大蔵大臣、テオドロス・メトキテスが1316~1321年の5年をかけほぼ建て直しに近い形で大々的に修復工事を行います。この時パラクレシオンと呼ばれる礼拝堂を始めとしたいくつかの建物が増築され、内部にある美しいモザイクやフレスコ画も、この時装飾されものです。こうしたイコノグラフィックは芸術的にもレベルが高いことで名高く、ビザンツ芸術に新しい潮流を吹き込んだともいわれているほどです。

メトキテスは、アンドロニコス2世が王位から降ろされたのに伴ってトルコ西部地方に流刑されますが、1330年に戻ってくるとコーラ修道院の修道士となります。1332年にここで亡くなると、自らが増設したパラクレシオンのニッチに埋葬されました。

こうして崩壊と再建を繰り返したコーラ修道院教会、考古学研究の結果、5つの時代にまたがる建築期を経て今の姿があるのだそうです。

カーリエ博物館、モザイク画

漆喰に覆われいただけに、その色の美しさも残ることに

1453年にイスタンブールがトルコ人によって征服されると、当初は教会として機能していたコーラ修道院も、1511年にモスクに改修され、アヤソフィア同様、内部モザイク画やフレスコ画が漆喰で覆われることに。しかしトルコ共和国になってからの1945年には博物館化され、アメリカビザンチン研究所の修復によって美しい装飾が再び蘇りました。

モスク化の際、こうしたモザイク画やフレスコ画が漆喰で覆われてしまったことは残念な歴史ですが、実際にはより良い環境で保存される結果となり、こうした漆喰のおかげで現在もその色鮮やかな美しさが鑑賞可能になったのです。
  • 1
  • 2
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます